シノド(その他表記)Sinod[ロシア]

改訂新版 世界大百科事典 「シノド」の意味・わかりやすい解説

シノド
Sinod[ロシア]

キリスト教東方正教会における常設の主教会議のことであるが,特にロシア正教会の最高統治機関を指す。語源はギリシア語シュノドスsynodos(〈集り〉の意)。ビザンティン教会においては,コンスタンティノープル総主教諮問機関および教会行政執行機関としてのシノドが10世紀ごろには確立したが,これはローマ教皇庁のような強力な組織には発展しなかった。ロシアで18世紀に設けられたシノドは,宗務院と訳され,正教会内部の機関と見えるが,実際には国教としての正教会の管理に当たる国家機関であった。ロシアの近代化をはかった皇帝ピョートル1世は,教会改革の一環として,絶大な権力を有した正教会の代表である総主教の選出を禁じ,1721年に公式に総主教制を廃止し,代りにシノドを設けた。これは最初は〈宗教協議会〉の名称で呼ばれた。シノドは,西欧プロテスタント諸国の宗教管理機構にならったものとされる。シノドは皇帝の任命する高位聖職者11名の合議体で,オーベル・プロクロールober-prokuror(宗務総監)と呼ばれる議長格の俗人が〈皇帝の目〉,すなわち皇帝との連絡係として加わった。オーベル・プロクロールはしだいにシノドの運営そのものを左右する権力を得た。シノドの職務は,教義の正統的解釈と教会慣行および典礼順守を推進し,教会検閲と宗教教育の実施によって国民の信仰心を正しく育成し,異端および分離派を厳しく弾圧することにあった。シノドの制度は,正教会に対する皇帝権力の支配を強化するのに貢献したが,ピョートル1世の意図した正教会の近代化には役立たなかった。19世紀の80年代から25年間にわたってオーベル・プロクロールをつとめた政治家ポベドノスツェフは,革命運動と自由主義的思想を弾圧し,皇帝アレクサンドル3世の反動的政治に協力して,シノドに対する批判を招いた。1905年の革命後,オーベル・プロクロールの職が廃止され,シノドの性格も変わった。1917年に総主教制が復活すると,シノドはモスクワ総主教の諮問機関となった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のシノドの言及

【ロシア正教会】より

…18世紀になると皇帝ピョートル1世は精力的にロシアの近代化を推進し,その一環として教会制度の改革をはかった。1700年以後総主教の選出を禁じ,21年には正式に総主教制を廃止し,かわりにシノド(宗務院)を設けた。宗務院は聖職者が運営するたてまえであったが,実際には宗務総監と呼ばれる皇帝の官吏が事実上の議長となり,かくして教会は国家の一機関となった。…

※「シノド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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