シロンスク(英語表記)Śląsk

精選版 日本国語大辞典 「シロンスク」の意味・読み・例文・類語

シロンスク

(Śląsk) 中部ヨーロッパの地方名。ポーランド南西部からチェコのズデーテン山脈南側のふもとを含めるオーデル(オドラ)川の上・中流域をさす。中世以来、東欧列国の係争の地で、一九一九年まではドイツに属した。石炭・鉄鉱石・亜鉛などの地下資源が豊富で、ポーランド最大の重化学工業地帯を形成している。ドイツ語名はシュレジエン。チェコ語名はスレスコ。英語名はシレジア

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デジタル大辞泉 「シロンスク」の意味・読み・例文・類語

シロンスク(Śląsk)

ポーランド南西部を主とし、ドイツ・チェコの一部にまたがる地域。石炭・鉄鉱・亜鉛などの産地で、工業が発達。ドイツ語名、シュレジエン。英語名、シレジア。

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改訂新版 世界大百科事典 「シロンスク」の意味・わかりやすい解説

シロンスク
Śląsk

ポーランド南西部,オーデル(オドラ)川上・中流に広がる地方名。ポーランド経済,とくに鉱工業の大中心地。シロンスクの大部分はポーランドに属するが,一部はチェコ領となっている。チェコ名はスレスコSlezsko。ドイツ文化圏で発展した地方で,その影響は都市の建造物その他にうかがわれる。ドイツ名はシュレジエンSchlesien,英語ではシレジアSilesia。

 地形的には,南はズデーテン山地とベスキド山地を境とし,東はクラクフ・チェンストホバ高地によってガリツィア地方に接する。オーデル川上流はズデーテン山地を横切り,〈モラビア門〉Moravská Bránaをなしている。モラビア門は古くからヨーロッパ南北を結ぶ通商路で交通上の要衝である。

 シロンスクは古くからの大都市ブロツワフ(人口64万,2004)を中心とする下シロンスクオポーレ(13万),カトビツェ(32万)を中心とする上シロンスクに分けられる。前者は肥沃なオーデル川中流域の平野とズデーテン山脈北斜面からなり,ジャガイモ,小麦,大麦,ビートなどを産する穀倉地帯で,畜産も盛んである。ブロツワフは機械金属工業,繊維工業の大工業都市で,また学術・文化の中心である。上シロンスクは19世紀末以来炭田開発が急速に進められ,現在ヨーロッパ第一の炭田地帯となった。石炭,鉄鉱石,亜鉛など豊富な地下資源を利用して急速に工業化が進められ,各種の金属機械工業が発展した。上シロンスク工業地帯GOP)とよばれる重化学工業都市群が形成され,ポーランド工業の核心部の役割を果たしている。両シロンスクの主要都市として先の3都市のほか,ソスノビエツ(23万),グリビツェ(20万),ザブジェ(20万),バウブジフ,ジェローナ・グーラ(12万)などがある。
執筆者:

シュレジエンの地名は,前300年ころから後350年ころまでオーデル川一帯に定住したバンダルWandal族の一部族の名称ジーリンゲンSilingenに由来する。その後6世紀にはスラブ人が居住するようになり,10世紀にはポーランドの支配下に入った。12世紀にブレスラウ公国とラティボール公国の2公国が形成され,13世紀以来,諸公の積極的なドイツ人植民政策によってドイツ化が進むとともに,中心都市ブレスラウ(現,ブロツワフ)は栄え,商工業や鉱業が発達した。そして14世紀にはポーランド王の支配から脱して,ボヘミア王ついで1526年以降はハプスブルク家の宗主権に服することになった。18世紀に入るとプロイセンフリードリヒ大王が資源に富むこの地域の領有をめざしてオーストリアとの間に3次にわたるシュレジエン戦争(1740-42年,44-45年,56-63年)を敢行し,その結果,下シュレジエン上シュレジエンの大部分およびグラーツ伯領がプロイセン領となった。大王の統治下で内地植民や鉱工業振興政策により,経済的に躍進をとげるが,反面フランス革命とナポレオンの大陸征覇の時期には,亜麻織物の輸出不振に悩む織布工や不徹底な農業改革に不満をもつ農民たちの大規模な蜂起が起こった。さらに,1815年以降は,オーバーラウジッツの大部分を合併し,製鉄業,石炭鉱業や織布業を擁する東部随一の工業地帯となったが,工業化に伴う社会問題の激化は,44年の有名なシュレジエン織工一揆となって表面化した。また48年の三月革命期には,東部プロイセンのユンカーが支配する保守的農業地帯の中では,例外的に激しい農民運動が都市の急進民主主義運動との連携のもとに展開された。第1次世界大戦後は,ポーランド人とドイツ人が混住する上シュレジエンの帰属について人民投票が行われ,60%はドイツ側に投票したが,連合国側は上シュレジエンの工業地帯をポーランド領とした。さらに,第2次世界大戦後は,ドイツ領シュレジエンもナイセ川西岸のわずかな地域を除いてポーランド領となった。その結果,シュレジエンのドイツ系住民は,1945-46年の下シュレジエンからの140万人の逃亡をピークに,大挙して東・西ドイツへ移住,その総数は300万人以上にのぼっている。当初ポーランドとドイツの間のオーデル・ナイセ両川の国境線を認めなかった西ドイツも,70年のポーランドとの国交正常化条約でこれを承認するにいたった.
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百科事典マイペディア 「シロンスク」の意味・わかりやすい解説

シロンスク

ポーランド南西部,オドラ川の上・中流域から一部チェコに至る地域の地方名。ドイツ名はシュレジエンSchlesien,チェコ名はスレスコSlezsko,英語名はシレジアSilesia。ブロツワフを中心とした下シロンスクとカトビツェを中心とした上シロンスクに分けられる。下シロンスクは肥えた農業地帯で,ライムギ,小麦,テンサイ,ジャガイモを産する。石炭,銅,ニッケルなどの鉱産もあり,金属,化学などの工業地帯でもある。上シロンスクはポーランドを代表する工業地帯。大規模な炭田を有し,製鉄・冶金・化学などの工業が行われる。10世紀以来ポーランドの一部であったが,13世紀以降ドイツ人の植民が盛んとなった。シュレジエン戦争(第1次)の結果,1742年プロイセン領。第1次大戦後ドイツ領となったが,一部がポーランド,チェコスロバキアに割譲され,第2次大戦後大部分がポーランド領となった。
→関連項目アウシュビッツグリビツェザブジェソスノビエツチェンストホバビトムホジュフポーランドレグニツァ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シロンスク」の意味・わかりやすい解説

シロンスク
しろんすく
Śląsk

ポーランド南西部、オドラ(オーデル)川中・上流に広がる地方名。大部分はポーランドに属するが、一部はチェコ領で、チェコ語名をスレスコSlezskoという。英語名をシレジアSilesia、ドイツ語名をシュレージエンSchlesienといい、第一次世界大戦まではドイツ領であった。ドイツ文化の影響下に発展したようすは、都市の建造物などにもうかがわれる。南はスデティ山脈とベスキド山脈を境界とし、東はクラクフ・チェンストホバ高地によってガリツィア地方に接する。ブロツワフ(ブレスラウ)を中心とする下シロンスクは、肥沃(ひよく)なオドラ川中流域の平野とスデティ山脈の北斜面からなり、ジャガイモ、小麦、大麦、ビート(サトウダイコン)などを産し、畜産も盛んである。カトビーツェを核とする上シロンスク工業地帯は、19世紀末以来、炭田開発が急速に進み、鉄鉱石、亜鉛などの豊富な資源を基礎に重要な工業地域に成長した。第二次大戦後、上シロンスクの工業都市アグロメレーション(集積地域)は、つねにポーランド経済にもっとも重要な役割を果たしている。

[山本 茂]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シロンスク」の意味・わかりやすい解説

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