ドイツ生まれのイギリスの技術者。ドイツ名はカール・ウィルヘルム・ジーメンスKarl Wilhelm Siemensという。ジーメンス兄弟の8番目に生まれ、兄ウェルナーが発明した電気めっき法を普及させるため、1843、1844年の二度イギリスに渡り、ジーメンス‐ハルスケ商会(のちにジーメンス‐シュッケルト社とともにジーメンス社に一本化)のイギリス支店を創設(1853)、イギリスに帰化した(1859)。兄と協力して海底ケーブルの敷設にあたり、またロンドンの同店で電信機の販売に従事していた弟のフリードリヒと協力して蓄熱式のガラス窯を発明し、1856年特許を得た。ガス発生炉による蓄熱法を製鋼に適用する試みは、彼の指導によりフランスの製鋼技術者マルタンが成功し、1864年特許を得た。この方法はシーメンズ‐マルタン法または平炉法とよばれる。なお、事業の多忙にもかかわらず科学界の要職につき、大英学術協会、土木工学会、機械工学会、王立学会、鉄鋼協会、航空学会、電信工学会の会長に選ばれた。1883年サーの称号が贈られ、同年ロンドンで没した。
[山崎俊雄]
平炉法を発明した技術者。ドイツ生れで,ドイツ名はジーメンスCarl Wilhelm Siemens。ジーメンス兄弟の8番目。電気のウェルナー,ガラスのフリードリヒとならんで,鉄のウィリアムと呼ばれた。1843年に兄ウェルナーのめっき法を携えてイギリスに渡る。その後ジーメンス・ウント・ハルスケ社のイギリス代理店を経営,59年にイギリスに帰化し,改名。1850年から水量測定器を作製し,これをもとに弟のフリードリヒとともに蓄熱反射炉を発明し(1861),64年にはマルタン父子の協力を得て,溶鋼製造法に応用することに成功。この方法はシーメンズ=マルタン法または平炉法と呼ばれた。平炉法は転炉法とならんで製鋼法に革命をもたらした。その他,電気炉などの電気技術を含め,各種の工業技術の改良・発展に努め,72年に電信技術学会の会長,77年に鉄鋼協会の会長となるなど,イギリスにおける工業発展に貢献した。83年にはナイトの称号を得た。
執筆者:河村 豊
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…一方,18世紀ころから鋳鉄の製造法として反射炉が用いられはじめ大砲などが鋳造されていたが,イギリスのコートHenry Cort(1740‐1800)は,反射炉をさらにくふうして銑鉄の溶融だけでなく,溶融した銑鉄をかくはん(攪拌)することによって半溶融状の可鍛鉄をつくることに成功した。この反射炉はとくにパドル炉と呼ばれるが,19世紀後半W.シーメンズ,P.E.マルタンの努力によって反射炉はさらに改良され,溶融状態の鋼を容易に製造できる平炉がつくられた。それより少し前の1856年,H.ベッセマーは転炉法を発明したが,これは溶けた銑鉄を炉の中に入れ炉の底から空気を吹き込むことにより,銑鉄中の炭素やケイ素を酸化させ,その際発生する熱を利用して溶けた鋼をつくるというものである。…
※「シーメンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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