銑鉄および屑鉄を原料として鋼をつくる製鋼炉の一種。1864年,イギリスのW.シーメンズとフランスのP.マルタンによってつくりだされた。このためシーメンズ=マルタン炉と呼ぶこともある。平炉は平らな炉床を有し,耐火材煉瓦で築造された反射炉の一種で,蓄熱室regenerator chamberを有する蓄熱式加熱方式である。蓄熱室は当初,廃ガスのもつ熱を用いて燃料の節約を目的として案出されたが,蓄熱室の利用によって,炉内温度をそれまで不可能であった1600℃以上という高温度に上げることが可能となり,大きな効果をもたらした。鋼は溶融点が高いから,蓄熱室のない反射炉では溶解することはできず,平炉において初めて屑鉄や銑鉄を原料にして鋼を大規模につくりうるようになった。平炉は発明後数十年間,進歩発展を続け,世界の製鋼法の王座を占めてきたが,1950年代後半から,その地位をLD転炉に急速にゆずっていった。
平炉の大きさは1回に精錬できる鋼の量で示し,5tから600tまでの容量のものがある。炉床は長さのわりに浅くつくられ,比較的低い煉瓦積みの天井も炎によって熱せられ,装入材料はその強い放射によっても加熱される。溶解室の下方の両側にそれぞれ二つの蓄熱室があり,蓄熱室内には煉瓦が格子積みされている。ガスまたは重油の燃焼によって生じた火炎は,炉内の装入物を加熱した後,高温の廃ガスとなり炉の一方から下方に吸引され,一方の格子積みの中を通過し,熱の一部をここに蓄えた後に,変更弁を経て煙突から出ていく。この廃気側の蓄熱室が十分に加熱されたとき,変更弁を切り替えると,燃焼用の冷空気が加熱された蓄熱室に入る。高温になった空気と燃料が炉内で燃焼し高熱を発生する。流出する熱い廃ガスは他の側の蓄熱室を通り,それを加熱し再び新しく熱が蓄えられる。この操作を繰り返して高温を維持する。平炉には酸性平炉と塩基性平炉がある。酸性平炉はケイ石煉瓦で,塩基性平炉は塩基性耐火材(マグネシア煉瓦,ドロマイトなど)で築造される。両平炉は形状および各部の配置については類似している。酸性平炉はリン,硫黄を除去できないため,優良な原料を使用する必要がある。塩基性平炉はリン,硫黄を除去できるため原料の制約が少なく,酸性平炉よりもはるかに広く普及するようになった。また平炉を構造で分類すると固定式平炉と傾注式平炉に分けられる。固定式平炉は建設費が安く,アメリカ,日本に多い。イギリスおよびドイツなどでは,銑鉄の成分が原料鉱石の関係で好ましくなく,スラグ量が多くなるので,排滓および出鋼に都合のよい傾注式平炉が比較的多い。固体原料は平炉の一方にある装入口から装入され,原料溶銑は溶銑鍋から溶銑樋を通して平炉へ流入される。出鋼は反対側の出鋼口から行う。
現代の製鋼法は転炉法,平炉法,電気炉法に大別される。1960年ころまでは,平炉鋼の品質は転炉鋼に比べて一般に優良であった。とくに酸性平炉鋼は原料も精選されているので,いっそう良質であった。当時の転炉(ベッセマー転炉,トーマス転炉)は空気を溶銑中に吹き込んで吹錬するため,つくられる鋼の窒素含有量が高く,またリンも平炉鋼ほど十分に除去されていない。これらのいくつかの欠点によって転炉鋼は高級な鋼の製造には向かず,ほとんど時を同じくして発明された平炉でつくられる平炉鋼に優位を奪われた形となった。電気炉鋼は平炉鋼よりもさらに信頼度が高く,高級鋼,合金鋼の製造に適している。しかし,1949年に発明されたLD転炉によってつくられる鋼の品質は,平炉鋼よりも優れていることがしだいにわかったため,60年代後半になると平炉鋼の転炉鋼に対する品質上の優位性はなくなった。平炉法はアメリカ,日本,西ヨーロッパでは衰退したが,東ヨーロッパではいまだ主要な製鋼法であり,旧ソ連では全生産鋼の60%が平炉鋼であった。
日本最初の平炉は,1890年に横須賀海軍工厰に設置された250kgの酸性平炉である。1901年に操業を開始した官営八幡製鉄所は10tのベッセマー転炉と25tの塩基性平炉でスタートしたが,その後は平炉のみが増強され,生産の重心はしだいに平炉に移っていった。民間会社も平炉を相次いで新設し,平炉鋼は全生産鋼の90%以上に達した。平炉は屑鉄を0~100%まで使用することが可能であり,銑鉄も溶銑である必要がなく,使用原料に大きな融通性があった。第2次大戦後は,平炉の大型化,自動制御化,機械化などによって,平炉技術は大きく進歩したが,57年にLD法が導入されてからは,平炉鋼の生産比率は急速に低下し,77年に日本最後の平炉が休止した。LD法がこのように急速に平炉法に置き換わった理由は,品質,原料選択の自由度,コスト,生産性などのすべての点で平炉法より優れた性能をもっているためである。
→転炉
執筆者:宮下 芳雄
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くず鉄や銑鉄(せんてつ)を原料として溶鋼をつくる製鋼炉の一種。平らな炉床をもつ反射炉の一種であるのでこの名がある。イギリスのシーメンズにより蓄熱式平炉が考案され、1600℃以上の高温が得られるようになり溶融状態での精錬が可能になった。ほぼ同時期にフランスのマルタン親子により、くず鉄、銑鉄による製鋼が試みられた(1865)。このため平炉製鋼法をシーメンズ‐マルタン法ともよぶ。当時の空気吹きの転炉製鋼法では銑鉄の成分に各種の制約があったが、塩基性炉床の平炉が確立されてからは脱リンも容易になり、幅広い組成の銑鉄の精錬が可能になった。さらに溶銑、冷銑、くず鉄の配合割合を自由に調節することが可能で、広範で優れた成品品種の生産ができるため製鋼法の主流を占めるようになり、1955年には世界の粗鋼の80%以上を生産するようになった。炉容量の拡大、酸素製鋼の採用、燃焼バーナーなどの改良による燃焼効率の向上、天井、炉床耐火物の開発、改良による耐火物原単位の減少、さらに各種計測による操業の自動化などにより発展を続けたが、1950年代後半の酸素上吹転炉の開発、普及によりしだいに押され、ロシア、ウクライナなどの旧ソ連地域とインドでは操業されているもののその割合は激減した。2006年では、世界の粗鋼生産量のうち、平炉によるものは2%にすぎず、日本では1977年(昭和52)に姿を消した。
[井口泰孝]
平炉の容量は1回の精錬による出鋼量で表し、数トンから数百トンのものがある。1回の精錬に要する時間は鋼種、原料により異なるが数時間を要し、この生産性の低さが純酸素上吹転炉に押された一つの大きな原因である。平炉は左右に長く浅い炉床、両端にガスあるいは重油バーナー、前面に数個の装入口、背面に出鋼樋(とい)、排滓(はいさい)樋、炉によっては溶銑注入樋、炉の左右下部に蓄熱室および耐火物製の天井より構成されている。装入物は火炎および天井よりの放射、さらに酸素の吹き込みによる酸化熱により加熱される。高温の廃ガスによって十分に加熱された蓄熱室を通すことにより燃焼用空気およびガスが予熱される。左右の蓄熱室を交互に用い、熱効率および燃焼効率を高め高温を維持する。
炉を築造する耐火物の種類により酸性平炉と塩基性平炉とがある。酸性平炉は炉体全部が珪石(けいせき)れんがで築かれ、塩基性平炉はマグネシア、マグクロ、クロマグれんがあるいはドロマイトなどの塩基性耐火材で築かれる。塩基性平炉では脱リンなどの精錬が行えるため大部分の平炉が塩基性である。
平炉には固定式と傾注式平炉がある。固定式は建設費が安く耐火物などの損耗も少ない。傾注式では脱リンなどにより生成したスラグを炉をいったん傾けて排滓するので、さらに適当なスラグをつくり良質の鋼を製造することができず、精錬作業には不利である。
[井口泰孝]
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…酸化物などを添加して最適組成にしなければならない。
【近代製鋼法への発展】
近代製鋼法への発展の曙光は1740年のるつぼ製鋼法にさかのぼるが,より普遍的技術となったのはH.ベッセマーの酸性転炉法およびW.シーメンズとF.ジーメンス兄弟,P.マルタンなどによる平炉製鋼法の相次ぐ成功により,産業革命期の鉄鋼の飛躍的な増産要請にこたえてからである。その後,トマスによる塩基性製鋼法が創始され,脱リン,脱硫が可能となり,また20世紀初頭,電気エネルギーによる製鋼法がP.L.T.エルーにより開発され,特殊鋼溶製などの分野に独自の地位を築いた。…
…展性や延性があるので圧延・鍛造が容易であり,鋳物にすることも可能である。近代鉄鋼業の生産工程は,高炉(溶鉱炉)による銑鉄生産,転炉または平炉による粗鋼生産および各種圧延機械による普通圧延鋼材の3工程を基本としている。3工程を同一工場内において連続作業する企業を銑鋼一貫経営(銑鋼一貫メーカー)という。…
※「平炉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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