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ジョレス Jaurès, Jean

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジョレス
Jaurès, Jean

[生]1859.9.3. タルン,カストル
[没]1914.7.31. パリ
フランスの社会主義者,革命史家。「フランス社会主義の父」と呼ばれる。 1881年大学教授資格試験に合格 (哲学専攻) ,85年タルン県選出代議士となったが 89年に再選されず,大学に帰って学位論文『感覚世界の実在』 De la réalité du monde sensible (1891) を完成した。 92年カルモー鉱山労働者のストライキを支持して次第に社会主義へ移行,93年カルモーの社会主義派議員となり,98年を除き,1902,06,10,14年と選出された。 01年 J.ゲードやバイヤンの社会主義政党に対抗して,フランス社会党を結成 (1901) ,議会の副議長をつとめ (05年まで) ,左翼ブロックにおける有力な指導者として活躍。 04年『ユマニテ』L'Humanité紙を発刊。同年のインターナショナルの会議後,フランス社会主義諸勢力の統一を承認。第1次世界大戦の勃発直前の 14年7月,熱烈な平和の志士として戦争反対を訴え,暗殺された。主著『フランス革命社会主義史』 Histoire socialiste de la Révolution Française (8巻,01~08) 。

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百科事典マイペディアの解説

ジョレス

フランスの政治家,社会主義者。ドレフュス事件で被告擁護のため活躍。1905年に統一したフランス社会党の中心的指導者となる。理想主義的色彩が強く,ベーベルらマルクス主義者と激しい論争を続けた。国際反戦運動を展開したため第1次大戦開戦直前に暗殺された。《ユマニテ》紙を創刊し,主著《社会主義的フランス革命史》は革命の社会経済的分析の端緒をなした。
→関連項目トゥラーティフランス社会党ブリアンマティエミルランルフェーブル

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世界大百科事典 第2版の解説

ジョレス【Jean Jaurès】

1859‐1914
フランスの社会主義者。フランス南部タルン県の小都市カストルに生まれる。父は中堅のブルジョア層に属したが没落し,6haの小農地で生活した。ジョレスは地元の中学校でその秀才ぶりを視学官に認められ,パリの有名校ルイ・ルグラン中学に移り,エコール・ノルマルで哲学を学ぶ。1881年アルビ中学校,さらに83年からトゥールーズ大学で哲学を講じた。85年,推されて下院議員に当選,フェリー支持の温和な共和主義者であったが,89年に落選後,トゥールーズ大学に帰り,哲学研究を通じて社会主義思想に接近していく。

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大辞林 第三版の解説

ジョレス【Jean Léon Jaurès】

1859~1914) フランスの政治家。社会主義諸派の結集に努力。第二インターナショナルを指導、反戦平和運動に活躍。1905年統一社会党を結成。第一次大戦開戦直前、国粋主義者に暗殺される。著「社会主義的フランス革命史」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジョレス
じょれす
Jean Jaurs
(1859―1914)

フランスの政治家。国際社会主義運動の指導者。南フランス、タルン県のカストルに9月3日中流階級の長男として生まれ、パリのエコール・ノルマルで哲学を学んだ。アルビの高等中学校(リセ)の哲学教授(1881~1883)、トゥールーズ大学専任講師(1883~1885)ののち、1885年の総選挙でタルン県から選出され、下院では中央左派に属した。1889年の総選挙で落選し、一時大学に復帰。1892年、「感覚世界の実在について」と「ルター、カント、フィヒテ、ヘーゲルにおけるドイツ社会主義の起源」の正副2論文によって哲学博士となった。1893年の下院補欠選挙にタルン県カルモー選挙区から社会主義者として立候補し当選した。その後わずかの中断(1898~1902)を除いてその死まで下院議員を務めた。
 社会主義者としての彼は、マルクス主義を評価しながらも理想主義、人道主義の役割をも重視し、革命と改良の総合を唱えたため、厳格なマルクス主義を主張するゲード、ラファルグらとしばしば論争した。彼は世紀末のドレフュス事件に際して、社会主義者も被告の人権擁護に尽力するよう主張したばかりでなく、事件の渦中の1899年に成立した共和政擁護のワルデック・ルソー内閣に社会主義者ミルランが入閣したため惹起(じゃっき)された大論争でも、階級的立場からミルランを非難するゲードらと対立した。だが、このいわゆる「ミルラン問題」で第二インターナショナルがゲードらを支持すると、その決定に服して1905年の社会党統一に参加した。この間、1904年『ユマニテ』紙を創刊し、暗殺による死までその主筆を務めた。第一次世界大戦に先だつ国際緊張の激化のなかで彼は第二インターナショナルの指導者の一人として独仏和解を訴えて平和維持の努力を傾けたが、1914年7月31日パリのカフェーで右翼狂信者の銃弾に倒れた。多くの著作を残したが、なかでも大著『フランス革命の社会主義的歴史』(1901~1908)はフランス革命の社会経済史研究に先鞭(せんべん)をつけたものとして専門家に高く評価されている。生地カストルの市庁舎内に記念館がある。[平瀬徹也]
『木下半治著『ジャン・ジョレス――血ぬられた平和像』(1963・誠文堂新光社)』

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世界大百科事典内のジョレスの言及

【ユマニテ】より

…フランス共産党の中央機関紙(日刊)。そもそもはジョレスが,分裂状態にあった社会主義者の結集をはかって,1904年4月18日に創刊した。創刊号はほぼ14万部売れ,大成功を収めたが,翌05年4月に念願の統一が実現してSFIO(Section française d’Internationale ouvrière。…

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