改訂新版 世界大百科事典 「ジョンオブゴーント」の意味・わかりやすい解説
ジョン・オブ・ゴーント
John of Gaunt
生没年:1340-99
イングランド王エドワード3世の第4子でランカスター公。ゴーントの名は生地フランドルのヘントGentにちなむ。2歳でリッチモンド伯,初代ランカスター公ヘンリーの姪ブラーンシュと結婚し,62年ランカスター公となって広大な公領を得た。二人の間に後の国王ヘンリー4世が生まれた。ジョンは百年戦争で兄エドワード黒太子とともにフランス,スペインで戦った。ブラーンシュの没後カスティリャ王の娘コンスタンスと結婚し以後カスティリャ王を僭称した。黒太子が病気で帰国後,彼は軍を率いてフランス軍と戦ったが敗退した。帰国後父王に代わって権力を振るったが〈良き議会〉(1376)と対立した。また,教会改革を説くウィクリフやロラード派を支持して,国家の枢要な地位を占める富裕な聖職者と対抗した。父王没後,黒太子の子リチャード2世を助けたが,ジョンの没後リチャード2世は専制政治を行い,ジョンの子ヘンリーが彼を廃位した。
執筆者:佐藤 伊久男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報