コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

スバンドリオ スバンドリオ Subandrio

5件 の用語解説(スバンドリオの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スバンドリオ
スバンドリオ
Subandrio

[生]1914. マラン
[没]2004.7.3. ジャカルタ
インドネシアの政治家。ジャカルタの医科大学卒業。学生時代より民族運動に従事し,第2次世界大戦中は反日地下運動で活躍。戦後,外交官となり,1956年外務次官。 1957~66年スカルノ政権下で外務大臣として活躍。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

スバンドリオ

インドネシアの政治家,外交官。スカルノの古い同志として抗日・独立運動に参加。すぐれた外交手腕を有し,駐英・駐ソ大使,副首相を歴任,1963年第1副首相兼外相となったが,九月三〇日事件により1966年逮捕,死刑を宣告された。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

スバンドリオ【Subandrio】

1914‐2004
インドネシア共和国の政治家。スカルノの反帝外交路線の推進者。東ジャワのクパンジェンに生まれ,ジャカルタ高等医専を卒業後,外交官となり,駐英大使を経て1957年以来閣僚(1957‐66年外相,1962‐66年副首相)の座につき,〈指導された民主主義〉の時代の外交政策を,〈ジャカルタ―プノンペンハノイ―北京―平壌枢軸〉と呼ばれる反帝外交路線として打ち出した。65年の九月三〇日事件後,事件に関与したかどで逮捕され,軍事特別法廷において死刑判決を受けた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スバンドリオ
すばんどりお
Subandrio
(1915―2004)

インドネシアの政治家、外交官。東部ジャワ生まれ。1942年ジャカルタ医科大学卒業。1947年情報次官、1954年初代駐ソ大使を経て1957年外相。華僑(かきょう)二重国籍問題、西イリアン解放など反帝反植民地の非同盟外交を推進。1963年第一副首相、外相、中央情報局長官を兼務、急進的スカルノ体制の一中心人物となる。1965年の「九月三〇日事件」に連座したとして逮捕、1966年軍事特別法廷において死刑判決を受けたが、1970年終身刑に減刑された。1995年8月、独立50周年を機に「老齢と健康悪化」を配慮して30年ぶりに釈放された。[黒柳米司]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

20世紀西洋人名事典の解説

スバンドリオ
Subandrio


1914 -
インドネシアの政治家。
元・第1副首相。
クパンジェン(東ジャワ)生まれ。
情報次官や初代駐ソ大使を経て、1957年外相となり、’63年第1副首相や外相、中央情報局長官を兼任し、スカルノ体制の中心的人物となる。’65年9月30日事件で逮捕され、’66年軍事特別法廷で死刑判決を受けるが、’70年終身刑に減刑される。

出典|日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)
(C) 1995 Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

スバンドリオの関連キーワードインドネシアインドネシア語派ハーグ協定インドネシア国民党スカルノ山インドネシアの恋唄シャフリル日本のインドネシア占領サルトノインドネシア共和国