スペウシッポス
すぺうしっぽす
Speusippos
(前407ころ―前339)
古代ギリシアの哲学者。プラトンの甥(おい)で、彼の死後アカデメイア学頭(前347~前339)の地位を継いだ。「いまの人々にとっては哲学とは数学的諸学のことである」というアリストテレスの非難は、プラトンのイデアのかわりに数学的諸学の対象を実体とした、このスペウシッポスに向けられたものと考えられる。数、大きさ、霊魂などを別種の実体としてそれぞれに原理をたてたことも批判された。しかし、定義についてのほか、プラトンの提起した諸問題の継承発展に努力している。著作は、30編の題名が伝えられ、わずかの断片が残存する。
[田中享英 2015年1月20日]
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スペウシッポス
Speusippos
[生]前395頃
[没]前339/前338
ギリシアの哲学者。プラトンの甥。アカデメイアに学びプラトンの死後アカデメイアの学頭をつとめた (前 347~339) 。彼はプラトン主義とピタゴラス主義との調和を試みたが,万物の原型の説明にあたってはイデア説を捨て数論を採用するなど全体としてピタゴラス主義への傾斜をみせている。倫理学的にきわめて厳格な反快楽主義の代表的存在であり,幸福は人間の自然的状態の完全さにあると説いた。著作の名は多く伝えられるが,きわめて少数の断片が存するのみである。
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「スペウシッポス」の意味・わかりやすい解説
スペウシッポス
古代ギリシアの哲学者。プラトンの甥(おい)。プラトンの死後,その後継者としてアカデメイア初代学頭となった。
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世界大百科事典(旧版)内のスペウシッポスの言及
【アカデメイア】より
…学園にはすでに独立の研究者であったエウドクソスがその弟子とともに加わり,アリストテレスが17歳で入門するなど,広くギリシア各地から研究者や学生が集まった。プラトンの没後,甥のスペウシッポスSpeusipposが第2代学頭となり,クセノクラテスがその後を継いだ。学園はその学問の傾向において,イデア論的形而上学から数学主義,懐疑主義から折衷主義へと変わり,また中断の時期はあったが,東ローマ皇帝ユスティニアヌスの勅令(529)による活動停止まで900年余にわたって存続し,古代ギリシア・ローマ世界における学問研究のセンターとして大きな役割を果たした。…
【進化論】より
…エンペドクレスは,動物の体のいろいろな部分が地中から生じて地上をさまよいながら結合し,適当な結合となったものが生存して子孫を残したとのべた。またアリストテレスとともにプラトンの弟子であったスペウシッポスも,生物が単純なものから複雑なものに進み,ついに人間を生じたとしている。これらの考えは,民間伝承と哲学が結びついたにすぎないともみられるが,また他方,造物主の観念に束縛されない自由性をもつ点で評価されることもある。…
※「スペウシッポス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」