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ゼネラル・モーターズ ゼネラル・モーターズ General Motors Corporation

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゼネラル・モーターズ
ゼネラル・モーターズ
General Motors Corporation

アメリカ合衆国の自動車メーカー。略称 GM。海外に多数の子会社を有し,世界各国で製造・販売を展開する代表的な多国籍企業で,フォード・モータークライスラーとともに自動車産業ビッグ・スリー呼ばれる

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ゼネラル・モーターズ
ぜねらるもーたーず
General Motors Corp.

アメリカの自動車会社。長年にわたり自動車メーカーとしては世界最大、またトラックのメーカーとしても世界有数の規模を誇った。しかし、その後、経営が悪化・破綻し、2009年に新会社ゼネラル・モーターズとして再建された。略称はGM。[佐藤定幸・萩原伸次郎]

創業期

フォードがヘンリー・フォード1世の天才的な技術的才能に大きく依存していたとすれば、GMは創業者ウィリアム・C・デュラントWilliam Crapo Durant(1861―1947)と中興の祖アルフレッド・P・スローンの卓抜した経営的才能によって急成長を遂げることができたといえる。フォードが1908年のフォードT型車(T型フォード)の生産開始とともに、またたくまにアメリカ自動車市場を席巻(せっけん)したのに対抗して、デュラントはオールズモビルOldsmobile、キャデラックCadillac、シボレーChevrolet、ビュイックBuick、オークランド(後のポンティアックPontiac)といった群小自動車会社の吸収・合併を積み重ねて、GM発展の基礎を築いた。デュラントがGMを設立したのは1908年だが、新ゼネラル・モーターズは旧会社を継承するものとして1916年にデラウェア州で設立された。当時のGMは多数の独立会社の寄り合い所帯といった状態であり、本社による生産調整が困難であったため、1920年に第一次世界大戦後の反動不況の影響から倒産の危機に直面した。同社はモルガン財閥の支持を得たデュポン財閥の資金援助によって立ち直ったが、デュラントはその責任を問われて社長の座を追われた。[佐藤定幸・萩原伸次郎]

世界最大の自動車メーカーへ

1923年に社長に就任したスローンは車種別に異なった価格帯を設定して、事業部制を導入した「フルライン政策」を実行した。1920年代におけるGMの急成長は、フォードの単一車種主義に対して、多種類の車種を提供、同時に、毎年新車を出しては前年型を旧式化させ新型に流行を移させる、計画的な企業戦略の結果であった。こうして、1927年にはついにフォードから業界第1位の座を奪った。
 海外進出ではフォードに一歩を譲るとはいえ、イギリスでは、自動車会社ボクソールVauxhallを1925年に買収、ドイツではアダム・オペルAdam Opelを1929年に買収するなど、第二次世界大戦前から諸外国にも進出。1980年代にはワールド・カー構想に基づいて日本メーカーの小型車生産技術を取り入れるべく、いすゞ自動車、鈴木自動車工業(現スズキ)にも出資するようになった。さらに1984年(昭和59)にはトヨタ自動車との合弁企業をアメリカ国内に設立した。この合弁事業により「トヨタ生産方式(かんばん方式)」を国内とドイツ・オペルに移植し、合理化に努めた。[佐藤定幸・萩原伸次郎]

多角化路線

1985年には国防電子機器のヒューズ・エアクラフトHughes Aircraft Co.を47億1250万ドルで買収し、軍需産業、エレクトロニクスの分野への進出を図った。買収後のヒューズ・エアクラフトは、1985年に設立されたGMの完全子会社ヒューズ・エレクトロニクスの一部門に改組された。以降、GMは自動車の製造・販売以外に、GMアクセプタンス(保険・金融)、ヒューズ・エレクトロニクス(国防・高度技術電子機器)、コンピュータ関連サービスのエレクトロニク・データ・システムズElectronic Data Systems Corp.(EDS)などの子会社を通して多角的な事業展開を行った。しかし1990年代以降、大規模なリストラクチャリングとして1980年代の多角化路線の見直しが検討され、1996年エレクトロニク・データ・システムズを売却後、ヒューズ・エアクラフトも冷戦の終結による国防費削減などの影響から、翌1997年軍需企業の大手レイセオンRaytheon Co.に売却。さらに、部品製造部門の統廃合も進められ、2000年には収益の安定しない民間衛星製造部門の売却を決定した。[佐藤定幸・萩原伸次郎]

提携の強化

GMは自動車出荷台数で世界首位(1999年は867万8000台)を誇り、1927年以来アメリカ国内における自動車生産の過半をつねに占めていたが、1970年代末以降国内市場シェアは低落傾向にあり、1998年には30%を割った。そのため、同社は販売体制を伝統的な車種ブランド別から地域別に切り替えるなど経営改革を行うとともに、海外との提携関係の強化に動いた。1998年(平成10)9月、GMはスズキとの提携を全世界規模で強化することで合意し、スズキ株式の約10%を保有する筆頭株主となった。同年12月にはいすゞへの出資比率を37.5%から49%に引き上げた。さらに1999年12月、富士重工業との資本提携に合意した。スズキとは小型車の開発、いすゞとはトラック、ディーゼル・エンジンの開発、富士重工業とは四輪駆動技術の開発における提携強化であり、アジア市場に向けた協力体制が固められた。また、アメリカ国内における1万7000以上もの販売店網が当時のGMの強さの一つであったが、さらに2000年にはオンラインサービス会社のアメリカ・オンライン(AOL)との提携によるインターネットを通じた販売網を立ち上げた。1999年時点の売上高は1765億5800万ドル、純利益は60億0200万ドル。同年のおもな部門別純利益は以下のとおり。自動車製品部門は北アメリカでは48億2200万ドル、国外で4億2300万ドル。自動車金融・保険部門15億3400万ドル、一方、GMヒューズ・エレクトロニクス部門は2億9100万ドルの欠損であった。[佐藤定幸・萩原伸次郎]

その後の動き

アメリカにおいても燃費を考慮した小型車が人気を集め、非アメリカ企業の売上げが急増し、中・大型車中心のGMは2004年以降売上高を減少させていた。2007年にはサブプライムローンの破綻を契機にアメリカ経済が停滞、さらに2008年に発生した燃料価格の高騰が重なり、GMの経営は急速に悪化、ついに2009年6月連邦破産法11条の適用を申請した。しかし、7月には再建手続が完了し、2010年11月には株式の再上場を果たした。
 日本との関係においては、2006年(平成18)にいすゞの株を売却し、資本提携を解消した。また同年スズキの株を大量に売却し、2008年には資本提携も解消した。[編集部・萩原伸次郎]
『マリアン・ケリー著、鈴木主税訳『GM帝国の崩壊』(1990・草思社) ▽押川昭著『ビッグスリーGMの逆襲』(1994・産能大学出版部)』

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