タンジェリン・ドリーム(読み)たんじぇりんどりーむ(英語表記)Tangerine Dream

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

タンジェリン・ドリーム
たんじぇりんどりーむ
Tangerine Dream

ドイツのシンセサイザー・ミュージックの代表的グループ。ドイツは電子音楽大国であるというイメージを決定づけた最大の功労者である。
 タンジェリン・ドリームの歴史は、創設者エドガー・フレーゼEdgar Froese(1944― 、ギター)のキャリアそのものである。フレーゼはドイツ領ティルジット(現ロシア共和国ソビエツク)に生まれ、幼少時からピアノを学び、ベルリン芸術アカデミーに入学(絵画や彫刻を専攻)したころからギタリストとしてバンド活動も開始した。シュルレアリスムの画家サルバドール・ダリとの交友、あるいはジミ・ヘンドリックスやピンク・フロイドなどの新しい音楽表現との出会いを通じて、通常のロックやジャズの範疇に収まらない実験的音楽への情熱を強めていったフレーゼは、1967年にバンド、ザ・ワンズ(1965年結成。1967年にシングル盤を1枚リリース)を解散し、新たにタンジェリン・ドリームを結成した。最初のメンバーは、フォルカー・ホムバッハVolker Hombach(サックス、フルート、バイオリン)、ランス・ハプシャシュLanse Hapshash(ドラム)、クルト・ハーケンベルクKurt Herkenberg(ベース)、そしてフレーゼの4人で、ボーカルのチャーリー・プリンスCharlie Princeが随時加わった。当初演奏していたのはサイケデリック・ロックだった。1969年にいったんバンドを解散したが、ベルリンでサイ・フリーというバンドで活躍していたドラマーのクラウス・シュルツェKlaus Schulze(1947― )との出会いを機に、タンジェリン・ドリームを再編成。そこに、ヨーゼフ・ボイスの下で彫刻やコンセプチュアル・アートを学んでいた実験音楽家コンラート・シュニッツラーConrad Schnitzler(1937―2011)もチェロ、バイオリン、フルートで加わった。このトリオにより1970年にオーア・レーベルから発表されたのが、デビュー・アルバム『エレクトロニック・メディテーション』Electronic Meditationだが、ここではまだシンセサイザーは用いられておらず、ギター、オルガン、バイオリン、ドラムなどによるサイケデリック・ロックが展開されている。デビュー・アルバム発表と前後して、シュルツェとシュニッツラーが脱退。その後シュルツェは、アシュ・ラ・テンペルを経てソロ活動へ、またシュニッツラーもエラプションやクラスターを経てソロ活動に入り、ともに、シンセサイザー・ミュージシャンとして膨大な数の作品を発表する。
 フレーゼは、ベルリンの電子音楽グループ、アジテーション・フリーにいたクリストファー・フランケChristopher Franke(1953― )およびスティーブ・シュロイダーSteve Schroyder(1950― )を新メンバーに迎え、1971年にセカンド・アルバム『アルファ・ケンタウリ』Alpha Centauriを発表。シンセサイザーを導入したこのころから彼らの音楽に対しジャーナリズムでは「コズミック・ミュージック」という呼称が使われた。1972年、脱退したシュロイダーに代わり、ベルリンのバーニング・タッチというバンドでキーボードを担当していたペーター・バウマンPeter Baumann(1953― )が加入、以後1977年まで、フレーゼ、フランケ、バウマンのトリオによって、タンジェリン・ドリームの初期黄金時代が築かれた。1972年の『ツァイト』Zeit、1973年の『アテム』Atemによってヨーロッパでの人気を高めた彼らは、イギリスのバージン・レーベルと契約し、1974年発表の第5作『フェードラ』Phaedraによって世界的な名声を確立(ヨーロッパ各国でゴールド・ディスク獲得)。さらに1975年の『ルビコン』Rubyconや『リコシェ』Ricochet、1976年の『ストラトスフィア』Stratosfearといった作品で、硬質で抽象的な電子音と19世紀的ロマンティシズムの融合という独自のスタイルを確立した。すでにソロ・デビューしていたシュルツェとともに、1970年代後半のタンジェジェリン・ドリームの活躍によって、エレクトロニック・ミュージック大国としての西ドイツ(当時)のイメージは打ち立てられた。
 以後、1977年のバウマンの脱退(彼はソロ活動を続けた後、1980年代には、ニュー・エイジ・ミュージック・ムーブメントの一翼を担った新レーベル、プライベート・ミュージックを設立した)や1988年のフランケの脱退(1990年代以降はロサンゼルスを拠点に、映画音楽制作など幅広い活動を展開)など、何度ものメンバー交替を経て、1988年以降は、エドガーとその息子ジェローム・フレーゼJerome Froese(1970― )を核にしたユニットとして活動を続ける。多くのサウンド・トラックも含め、これまでに正規に発表されたアルバムだけで70~80枚ほどもあり、そのキャリアは、ジャーマン・エレクトロニック・ミュージック/テクノの父祖と呼ぶにふさわしいものだ。しかし、その音づくりは、シンセサイザーに種々の生楽器を絡ませるなど随時工夫を加えてはきたものの、1980年代以降は確立されたスタイルの紋切り型によるムード・ミュージックに堕している。[松山晋也]
『間章著『非時と廃墟そして鏡』(1988・深夜叢書社)』

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