日本大百科全書(ニッポニカ) 「アシュ・ラ・テンペル」の意味・わかりやすい解説
アシュ・ラ・テンペル
あしゅらてんぺる
Ash Ra Tempel
ドイツのロック・バンド。1970年代以降のジャーマン・ロックのサイケデリック性を象徴する。アシュ・ラ・テンペル(後にアシュラを名のることもある)のリーダーであるマニュエル・ゲッチングManuel Göttsching(1952―2022、ギター)は随時ソロ名義の作品を発表し、バンドと彼の音楽性はほぼ同一である。
そのゲッチングのつくりだすサウンドは、時代や作品によって手法や表情が異なるが、30年以上にわたる軌跡を通して一貫しているのは、徹底したトランス感覚である。ドラッグに過度に依存した初期の混沌(こんとん)としたサウンドから、シンセサイザーを全面的に用いたニュー・エイジ風のもの、あるいは1990年代テクノに直結するハード・ミニマリズム等々、すべての表現にトランス感覚がみなぎっており、その強度こそが、ゲッチングの音楽の個性と人気を、時代の流れを超えた特別なものにしている。
ゲッチングのミュージシャンとしてのキャリアは、1967年に結成されたブルーバーズのメンバーとしてスタートした。グループはすぐにボム・プルーフと名前を変えるが、当時おもに演奏していたのは、ローリング・ストーンズやビートルズなどのポップ・ロックのコピーであった。そしてクリームやジミ・ヘンドリックスなどのブルースやサイケデリック・ロック・ムーブメントの強い影響下で1969年に新たに結成されたのが、スティープル・チェース・ブルース・バンドであるが、そこにさらなる変化をもたらしたのが、クラウス・シュルツェKlaus Schulze(1947―2022、ドラム)である。シュルツェはタンジェリン・ドリームの初期メンバーであったものの、デビュー・アルバム発表後すぐにバンドを抜け、ゲッチングと意気投合した。1970年、ブルーバーズ以来のゲッチングの仲間であったハルトムート・エンケHartmut Enke(1952―2005、ベース)を加えた3人でアシュ・ラ・テンペルは結成される。そして1971年、当時のジャーマン・ロック・シーンでもっとも先鋭的なレーベルとして注目を集めつつあったオーア・レーベルからリリースされたのが、デビュー・アルバム『ファースト~アシュ・ラ・テンペル』である。ここでのサウンドも、いわゆるブルースやサイケデリック・ロックであるが、暴力性と瞑想(めいそう)性の錯綜(さくそう)、静と動の振幅が非常に激しく、1970年代ジャーマン・ロックに特徴的な暗く観念的な宇宙が展開されていた。しかしこの作品を発表後、シュルツェはソロで活動するために脱退。以後アシュ・ラ・テンペルは1973年までに『セカンド(振動)』『セブン・アップ』『ジョイン・イン』Join Inn『スターリング・ロジ』といったアルバムをゲッチングを中心に発表。それらはいずれもドラッグによる幻視、幻聴に基づいた深遠なサイケデリック・ミュージックである。
一方で、1975年に発表された第6作『インヴェンションズ・フォー・エレクトリック・ギター』が転換点となった。これは、1本のエレキ・ギターとディレイ等のエフェクター、そして2台の4チャルネル・テープレコーダーのみでつくられた、ゲッチングの完全ソロ・ワーク(エンケは『ジョイン・イン』の後、ドラッグのために音楽からリタイア)であるが、細かくピッキングされたギターの音がディレイ効果によって絶え間なく波紋を広げてゆくさまは、テリー・ライリーTerry Riley(1935― )やスティーブ・ライヒ等が1960年代に編み出したミニマル・ミュージックにきわめて近い。同作はロック・ミュージックにおいてミニマリズムを初めて本格的に追求した歴史的作品である。そしてその路線は、アシュラ名義で発表された次作『ニュー・エイジ・オブ・アース』New Age of Earth(1976)では、シンセサイザーの使用によってより流麗で浮遊的な方向へとシフトする。以後アシュラ名義での3枚のアルバムにおいて、一定のシークェンスに基づく浮遊的なサウンド・プロダクションの探求を続けたゲッチングは、1984年、シークェンス・ミュージックの決定打としてゲッチング名義による『E2 E4』を発表。ほとんどがリズム・マシーンによる一定したビートと、ギターおよびシンセサイザーによるコード・リフだけからなる60分1曲の簡潔な同アルバムは、1980年代後半に隆盛するハウス・ミュージックに多大なるインスピレーションを与え、1990年代テクノの源泉の一つにもなった。イタリアのハウス・ユニット、スエーニョ・ラティーノやデトロイト・テクノ勢等、この曲のミリックス・バージョンを発表してきたミュージシャンはかなりの数にのぼっている。
ゲッチングは1990年代以降も、アシュ・ラ・テンペルまたはアシュラ名義で多くの作品を発表しているが、サウンド・スタイルのいかんにかかわらず、音の浮遊感、現実離れしたトランス感覚だけはいかなる場合も不変という一点において、希有(けう)な存在である。
[松山晋也]