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クルムス著「解剖学表」1732年第3版をライデンの外科医ディクテンが蘭訳した解剖学書「Ontleedkundige Tafelen」。1734年アムステルダム刊。本文28表,各表に図1葉を付す。「解体新書」は,本書の各部の名称についての簡潔な解説である本文のみを訳出したもの。
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…1774年(安永3)刊。1771年(明和8)の骨ヶ原(小塚原)の腑分けがきっかけとなって,当時《ターヘル・アナトミア》と俗称されたドイツ人クルムスJ.Kulmusの解剖書の蘭訳本(1734刊)を日本訳したもので,江戸の杉田玄白,前野良沢ら蘭学グループが参画したが,良沢の名前は記されていない。これは幕府の出版取締りをおしはかって,もし幕府のとがめを受けたとき,先輩で盟主格の良沢に累を及ぼさないための配慮とみられる。…
…バーゼル大学で医学の学位をとり,ダンチヒで開業し,1725年同所のギムナジウムの博物学教授となった。著書《Anatomische Tabellen》(1722)の蘭訳本(通称《ターヘル・アナトミア》)が,74年(安永3)杉田玄白らによって《解体新書》として翻訳刊行された。彼は日本ではよく知られているが,欧米ではあまり知られていない。…
…その過程で実験にもとづく実証的なオランダ医学の水準を知り,同僚の中川淳庵や中津藩医の前野良沢らとともに,江戸参府のオランダ人一行の宿舎長崎屋に蘭館医や通詞たちを訪ね,治療の実技を見学したり外科の原書を借り受けてその精巧な図版を筆写したりして見聞をひろめた。さらにクルムスJ.Kulmusの解剖書(いわゆる《ターヘル・アナトミア》)を入手し,それに引き続いて千住骨ヶ原(小塚原)で刑死体の解剖を実見する機会をもって,オランダの解剖書の正確なことを確認した。明和8年(1771)3月4日,玄白39歳のときである。…
※「ターヘルアナトミア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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