ダミア(英語表記)Damia

改訂新版 世界大百科事典 「ダミア」の意味・わかりやすい解説

ダミア
Damia
生没年:1892-1978

フランスシャンソン歌手。本名マリー・ルイズダミアンMarie-Louise Damien。パリ警官の娘に生まれ,非行を重ねたあげく15歳のときに家出芝居の仕出役などで糊口をしのぎながら,1911年歌手になる。当時のレビュー・スター,マックス・デアリーに見いだされて,しだいに頭角をあらわす。当初は歌い踊るレビュー歌手を志していたが,第1次世界大戦後,サッシャ・ギトリーらの忠告を入れて衣装を黒一色に変え,人生の悲哀をうたう現実派歌手として本格的にデビューした。装置,小道具の類を使わず,身ぶりとスポットライトの効果のみで,歌を象徴的に表現するスタイルを創始し,〈シャンソンのサラ・ベルナール〉〈ミュージック・ホールのエレオノーラ・ドゥーゼ〉とたたえられるにいたる。49年,パリのプレイエル音楽堂で歌手生活30周年の記念リサイタルを開き,記録的成功を見た。日本でもダミアの得意とした《暗い日曜日》《かもめ》《人の気も知らないで》などが親しまれたが,53年,最後の国外公演で日本に来演。56年に引退。アベル・ガンスAbel Ganceの《ナポレオンNapoléon》(1926)をはじめ,映画出演も数多い
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダミア」の意味・わかりやすい解説

ダミア
だみあ
Damia
(1892―1978)

フランスのシャンソン歌手。本名マリー・ルイズ・ダミアンMarie-Louise Damien。パリの下町生まれ。家計のため働きに出るが、シャトレ座で端役(はやく)にありついたり辛酸をなめ、1910年ごろミュージック・ホールの役者ロベルティに仕込まれ、ゲーテ・モンパルナス劇場で歌手としてデビュー。第一次世界大戦中は兵士慰問に赴き、戦後『イーゼルの夜哨(やしょう)』を歌い反響をよんだ。劇作家・俳優のサッシャ・ギトリにみいだされてしだいに名をあげ、黒いビロードのドレスによる演劇的表現というスタイルがつくられた。第二次大戦前のシャントゥーズ・レアリストの代表者で、低い声で失望や絶望をリアルに歌い上げ、『暗い日曜日』『人の気も知らないで』は日本でも大ヒットした。その他の代表作に『かもめ』『狂人』など。53年(昭和28)5月来日、56年に引退。

[永田文夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀西洋人名事典 「ダミア」の解説

ダミア
Damia


1892 - 1978.1.30
フランスのシャンソン歌手。
パリ生まれ。
本名マリー・ルイズ ダミアン。
通称シャンソンのサラ・ベルナール,ミュージックホールのエルオノーラ・ドゥーゼ。
1911年ゲーテ・モンパルナス劇場で歌手デビューを飾る。第一次大戦後、「イーゼルの夜硝」歌い、注目を浴びる。照明設備を有効に使用し、黒ビロードで袖無し、Vネックのドレスを身にまとい、黒の緞帳をバックに持ち、演劇的に歌を表現した。’26年映画「ナポレオン」に出演。’49年歌手生活30周年記念リサイタルを開くが、’56年引退する。ヒット曲に「暗い日曜日」「人の気も知らないで」があり、日本でもヒットした。’53年来日。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダミア」の意味・わかりやすい解説

ダミア
Damia

[生]1892.12.5. パリ
[没]1978.1.30. パリ
フランスの女性シャンソン歌手。本名 Maryse Damien。 15歳で家出,放浪生活に入って苦労したのち劇作家 S.ギトリーに見出される。 1920~30年代の大歌手で,『人の気も知らないで』や『暗い日曜日』などヒット曲も多い。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「ダミア」の解説

ダミア

生年月日:1892年12月5日
フランスの女性シャンソン歌手
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android