ある社会の法的規範に対し違反する行為。したがって,その社会の政治的・経済的・社会文化的諸事情に規定され,かつ時代とともに変遷する社会的(法的)概念である。〈非行〉の語は英語のdelinquencyにあたり,第2次大戦後広く使用されるようになった。その行為の主体者を非行者delinquentといい,少年にも成人にもあてはまるが,一般には青少年の反規範行為に対して用いられ,〈少年非行juvenile delinquency〉という場合が多い。日本の少年法では,(1)14歳以上20歳未満で刑法に触れる罪を犯した少年を〈犯罪少年〉,(2)14歳未満で刑法に触れる行為をした少年を〈触法少年〉,(3)保護者への反抗や不良交遊等の傾向が強く将来罪を犯すおそれのある少年を〈虞犯(ぐはん)少年〉と規定している。
第2次大戦後における少年非行の推移を刑法犯検挙人員の人口比(人口1000人に対する割合)でみると,三つの大きな波がみられる。戦後10年間は混乱期にあたり,食うため生きるための非行が多発し,1951年には第1次のピークに達した。当時の非行の特徴は,18・19歳の年長少年,なかでも貧困家庭出身の勤労少年や無職少年の割合が高く,非行行為としては窃盗の占める比率が高いことであった。1950年代後半から60年代にかけては高度経済成長期で,成人の犯罪率が低下していったのに対して少年の非行率は上昇をたどり,64年には戦後第2次のピークを記録した。この時期の少年非行は,交通犯罪,粗暴犯,性犯罪の増加,低年齢化現象が特徴である。また睡眠薬遊びのような逃避型非行,中流階級出身者や学生・生徒による非行が増加した。60年代後半は高度経済成長が続き,交通事故の激増,公害の発生,都市化の拡大,受験戦争,学園紛争,ヒッピー等が現れ,非行にも影響を及ぼした。1970年代以降は石油危機を契機に低成長時代への転換が始まった。経済情勢は低迷し,倒産,一家心中が頻発した。また大量進学時代を迎え,学校内暴力,登校拒否,家庭内暴力等深刻な問題が増加し,社会文化的には大衆化,享楽化が進行した。非行内容は万引,オートバイ盗,自転車盗,自転車乗逃げなど罪質の軽い非行が多いが,女子や低年齢層少年の非行,薬物濫用,集団非行,再犯少年等の増加,さらに家庭内暴力や学校内暴力の問題などは注意を要する現象である。とりわけ対教師・生徒間暴力,器物損壊などのいわゆる学校内暴力(校内暴力)の発生数は,83年にピークを迎えてのち,いったん減少の気配を見せたが,87年以後ふたたび増加に転じた。90年代に入っても増加の一途をたどっており,とくに中学校における増加は急激で,発生件数について言えば,95年の発生数は83年の約1.6倍である。また,薬物の濫用については,近年覚醒剤の低年齢層への広まりが問題となっている。少年非行は社会の矛盾や問題点を鋭敏に映す指標である。
少年非行の問題は,次代を担うべき少年たちの動向を占うものとして,いかなる時代や社会体制においても,重大な関心が払われてきた。たとえば,すでに6000年前,エジプトに少年非行の記録が残されており,ソクラテスは〈青年は権威を軽蔑し,両親や目上の人を敬わず,教師に対して暴君のようである〉と嘆いている。日本では空海が《三教指帰》で非行少年を儒教,道教,仏教の3人の信者が説論する光景を書いている。また,江戸中期に林子平が《父兄訓》で〈子弟が13~14歳になると悪業を見習って増長するので安堵できない〉と同様の苦言を呈している。このように青少年の非行,なかでも親や教師に代表される権威や社会秩序に対する反抗は,どの時代にもおとなや社会にとって大きな脅威であり,それだけに少年非行に対する社会の対応は,非常に厳しいものであった。たとえば約4000年前,ハンムラピ法典は第195条に,〈もし息子が彼の父を殴打するならば,息子の両手を切断すべし〉と規定していた。古い時代からの〈殺人には死刑〉に象徴される〈応報思想〉は,非行少年に対しても苛酷な刑罰を要求した。犯罪に対する罰は正義であり,刑罰は重いほど矯正ないし犯罪予防の効果が大きいと考えられたからである。当時は非行少年も成人犯罪者といっしょに集団的,画一的に厳しく取り扱われていた。
しかし,こうした懲罰的方法は更生をもたらすどころか,かえって非行の悪質化や累犯者の増加を招き,社会の安全をますます危うくするものとなった。この悪循環が認識され,改革の気運が起こるまでにはじつに長い年月を必要とした。改革の第1の原動力は,16世紀以来の伝統をもち,ベッカリーアやJ.ハワードに代表される〈宗教的ないし人道主義的刑務所改革運動〉であった。第2の原動力は,ロンブローゾをはじめとするイタリア刑事実証学派が議論の重点を犯罪現象から犯罪者に移し,犯罪原因等について〈自然科学的に研究〉すべきであると教えたことにあった。これらの影響を受けて刑法における近代学派が誕生し,F.vonリストらは応報刑に反対して目的刑を主張するに至った。このような経緯をへて応報的刑罰に代わり,個人的な理解を中心とした人間的・心理的な取扱いがなされはじめ,処遇treatmentと呼ばれるようになった。20世紀に入ると,ドイツのグルーレやアメリカのヒーリーW.Healyらを嚆矢(こうし)として,非行原因の実態調査を基礎に処遇を行う科学主義が導入され,さまざまな分野において科学的研究が活発に進められた。その結果,非行の原因は単一ではなく,精神的・心理的・身体的・社会的・経済的・政治的などの要因が有機的に複雑に関連していることが明らかにされた。精神力動的には〈少年非行はその欲求をしばしば充足してくれない環境に対する,その少年の不適応である〉という〈欲求不満-不適応〉理論が,最も適切なものとして国連のレポート(1955)で取り上げられた。
日本では,1949年に施行された現行の少年法に上述の成果が取り入れられた。少年法の目的は〈少年の健全な育成を期し,非行のある少年に対して性格の矯正および環境の調整に関する保護処分を行う〉ことにあり,裁判所に優位性をもたせ,処遇の中心に保護・教育・改善を置いたことに特徴がある。根底には少年の人権と福祉を守る立場が貫かれている。非行を犯した少年は家庭裁判所へ送致され,少年本人や保護者の資質,環境,経歴等に関する専門的調査に基づいて,審判不開始,不処分,保護処分,検察官送致等が決定される。なお保護処分には少年法による保護観察と少年院送致,さらに教護院・養護施設(1997年,それぞれ児童自立支援施設,児童養護施設と改称)など児童福祉法に基づく処分が含まれる。
日本のみならず,世界的にも非行少年の処遇の中では少年院は最も組織的かつ強力な矯正教育が行われるものと期待された。しかし少年院退院者の予後調査により半数以上の者が再非行を犯すことが明らかにされ,施設処遇と矯正効果の問題が改めて問い直されるに至った。こうして施設処遇改善の試みがさまざまな方向から推進された。治療的処遇技術の面からは,個別的治療法として精神分析や非指示的カウンセリング,内観法,行動療法など,集団的治療法として集団心理療法,現実療法,心理劇法,その他いろいろな訓練法がくふうされ実践された。また施設全体の雰囲気を治療的にしようとの試みが,オーストリアのアイヒホルンA.Aichhorn(1878-1949)らによってなされた。彼は少年と職員との間に親密で持続的な人間関係を確立し,施設全体を暖かい家庭的な雰囲気にして治療しようと試み,画期的な成果をあげた。これは〈環境療法〉と名付けられ,近年アメリカにおいて実験的な試みが大規模に行われ,児童期に親の愛情を剝脱されたタイプの少年に効果的であることが示された。ただし精神病,重い精神病質や精神遅滞,正常少年には別の方法が適当とされた。さらに退所時に職員との別離に伴い危機的な問題が生じるので,単に施設処遇の改善だけでは不十分であり,回復に応じて社会との接触を漸進的に体験させていくシステムの必要が教えられた。こうして施設に収容せずに初めから〈社会内開放処遇〉を行う試みが生みだされた。そこではカリフォルニア州の青少年局で行われたように,個別的ないし集団的心理療法に加えて家族療法,里親とグループ居住制,治療的家庭教師制などが試みられた。これらの新しい処遇法による経験と研究は,閉鎖施設よりも開放施設が,開放施設の中では収容施設よりも通院施設が社会復帰に有効であり,さらに非行原因や対人関係成熟度などによる類型に対応した〈応差的処遇〉が効果的であることを明らかにした。
たとえばウォレンM.Q.Warrenは,非行少年に関する16の代表的類型論を検討し,非社会型,反社会的-操縦者型,神経症型,同調者型,二次文化共鳴者型,状況型の6類型にまとめ,それぞれについて特徴,原因,処遇の方法をあげた。
(1)〈非社会型〉とは,非適応的ないし逃亡型非行に近く,衝動的,情動不安定で反抗的,人を信頼せず自己中心的で,他罰的かつ自己憐憫(れんびん)的な考え方をするものである。原因としては,親の拒否,虐待,遺棄など極度の情緒的剝脱があげられている。処遇は,忍耐強いおとなによる暖かく受容的な接し方,明確で具体的かつ支持的な指導法,遺棄と拒否とに対する恐怖を減少させるような接し方等が望ましいとされている。
(2)〈反社会的-操縦者型〉は,性格的非行に近く,内在化した規範や罪責感をもたず,世をすね,人に対して極度に冷淡で敵意をもち,かつ権力指向的な特徴を示すものである。原因は疑い深く,要求がましく,愛情と拒否が一貫していない親,競争的で互いに食いものにしあっている家族等があげられている。処遇は,(a)集団処遇,職業,運動競技などの訓練を通じて合法的な成功への機会を増加する,(b)人間関係の中で心的外傷を再現し味わうことを許し,他人に依存し関心を寄せる能力の復活をはかる,などの2方向があるが,治療はきわめて困難と考えられている。
(3)〈神経症型〉とは,不安,抑うつ,引っ込み思案などの特徴が認められるもので,その原因は両親の不安や葛藤(かつとう),あるいは男らしさへの過剰な努力などであり,これらが神経症的葛藤を引き起こし非行として表現される。自分は悪いことをしていると気がとがめるが,抵抗しがたい衝動にかられて非行を反復してしまう。処遇は,非行少年と家族に対する個別または集団の心理療法を行い,洞察を通して神経症的葛藤の解決をめざすことである。
(4)〈同調者型〉と〈二次文化共鳴者型〉とは,適応的非行,感染性非行あるいは社会化された非行に近く,正常の社会規範からは逸脱しているものの,ある非行集団に帰属し,非行社会の価値観に親和・同一化する特徴を示すものである。処遇は,少年に接する成人が人間関係を通じてこのような少年の同調性を変容すること,非行が引き合わないこと等を教える方法が考えられている。
(5)〈状況型〉とは,いわゆる正常少年で,非行は偶発的な事情あるいは正常の処理能力を超えた事態の結果として起こるものである。処遇は,警察,教師,両親などが非行の悪は悪としてけじめをつけるとともに,非行に走らせた社会的あるいは個人的な問題を少年が解決するのを援助する。その際むやみに公にすることは有害であるから慎重な対処が必要とされる。
(6)最後に〈精神障害性要因〉,すなわち精神病,器質性ないし微細な脳障害,覚醒剤やアルコール中毒,精神薄弱などが非行に関係する場合があることに留意すべきである。処遇は,一刻も早くしかるべき精神科治療や社会的訓練ないし教育の軌道に乗せることである。このように非行少年の類型に応じた処遇方法は,今後ますます実態に即するように追究されなければならないであろう。
実際の対策や治療においては個々の少年の問題に対応して,家庭,学校,地域,行政,医療等がそれぞれ独自の役割を果たしながら,社会全体として有機的連携を保ち,緊急の場合〈力〉による非行抑止という短期的視点に加えて,〈社会環境の改善〉および青少年自身の〈自己規制力の育成〉などの長期的視点も並行して行われる必要がある。非行少年の処遇ないし治療にはさまざまな方法があるにしても,その究極目標は単に非行性を改善するというより,孤立や不信から本人を救い出し,人格の発達と社会性の促進をはかり,自分の行動を自分で律していけるような主体性を培うことにある。その手段として最も基本的なものは,治療専門家との関係をきっかけとして直接少年と接する親,教師,職親などが少年と良い人間関係をつくり,これを持続させつつ信頼関係へと発展させることである。
しかし非行少年との間に親密な人間関係を築くことは,現実にはきわめて困難である。非行性の重い少年は,おとなや社会に対して根深い恨みや憎悪を抱き,治療者にも激しい敵意を示すからである。彼らはみずからの非行の責任を一方的に親や社会に帰し,良心のとがめや罪責感をもたず,治療意欲を示さずむしろ拒否するかのようにふるまう。それゆえ非行少年に面接する者にとっては,彼らの激しく,しかも度重なる反抗を克服しつつ,まず人間関係成立のきっかけをつかむことこそが,最初にして最大の課題となる。こうした非行少年の根本的治療における最も重要な鍵は,面接者の〈非行少年観〉と〈治療観〉にあると考えられる。すなわち第1に面接者が彼らの心の奥深くに隠されている苦悩に満ちた声なき訴えや甘えのかすかな呼びかけを察知できるかどうか,第2に面接者が非行少年の立直りと自立する可能性を信じ,人間的な出会いを求めつつ,たゆまぬ語りかけを続ける覚悟があるかどうか,にかかっている。そのうえで少年が〈自分は一人の人間として尊重されている〉〈自分こそ面接における主人公である〉と感じとり,面接を続けてみようという気持ちになるような接し方(技法)が必要である。
なお,家族の理解と信頼と協力を得ることはきわめて重要である。治療の主体ははじめこそ治療者にあるものの,主役はあくまでも家族と少年本人にあることが心に銘記され,治療の主力はそこにこそ注がれなければならない。また非行を早期に発見し,早期に診断し,早期に指導ないし治療する重要性は,いくら強調されても強調されすぎることはない。本人はもちろん家族,社会の福祉のためにも,対策の最重要点はこの点に置かれる必要がある。
→家庭裁判所 →少年審判 →少年法
執筆者:石川 義博
いつの時代にも学校では非行を賞罰両方の手段によって正すという方式がとられたが,非行発生予防には,学校内での指導だけでなく,子ども・青年の学校外の生活にも,教育行政当局や教師が目を向けるようになった。文部省のとった措置で重要なのは,1932年の訓令〈児童生徒ニ対スル校外生活指導ニ関スル件〉であり,これは既存の少年団の実績を認めたうえで,敬神崇祖・社会奉仕などの精神を培い,体位向上を図り,〈健全ナル国民善良ナル公民タルノ素地〉を学校教育と連絡しながら養うよう指示した。これは非行を防止し,子どもの校外生活を皇国民錬成の場に再編成するため,当時各地で始まっていたピオネール運動を抑圧するねらいも持っていた。
第2次大戦後は,前述のように何度か非行が増加した時期があり,そのつど為政者により,学校の道徳教育の強化が必要であるとされた。しかし第3のピークとなった1970年代末から80年代にかけての非行では,従来見られなかった校内暴力が,とくに高校,ついで中学校において急増し,学校はその対策に追われた。社会体制に迎合し,しかも受験体制が強くなった学校教育は子どもの批判精神の発達を抑え,無気力や絶望感をはびこらせ,これが非行の主要な原因となっている。さらにさかのぼると幼児期からの家庭における過保護が自立を遅らせたことも非行の遠因になっているとみられる。ときにその非行は学校教職員の手に負えぬ暴力行為に及び,警察が実態を調査し対策を立てる一方,学校側が警察力を校内に導入するという事態もあった。80年11月には文部省の初等中等教育局長・社会教育局長連名の通達〈児童生徒の非行の防止について〉が出され,毅然たる態度で生徒指導にあたる必要が説かれ,また12月には総理府,文部省,厚生省,警察庁など関係6省庁の担当局長による〈非行対策関係省庁連絡会議〉が設けられた。
校内暴力は日本だけに起こっているのではなく,ILO〈教員の雇用と労働条件調査〉(1981)によると心身の健康を損ねている教師が1/4に達し,その最大の原因は労働時間の長さなどより生徒の校内暴力にあるとされている。とくにアメリカでは公立学校教員の5%が被害者であり,ヨーロッパ諸国でも増加していることが明らかにされた。80年代後半以降急増した不登校や高校中退も非行と関係があり,教育のあり方について再検討する必要に迫られている。
執筆者:山住 正己
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(田中信市 東京国際大学教授 / 2007年)
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