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チェルベテリ Cerveteri

デジタル大辞泉の解説

チェルベテリ(Cerveteri)

ローマの北西約50キロメートルにある都市。エトルリア人の遺跡があり、近年その古代墳墓が発掘された。前7世紀のバンディタッチャ墳墓が名高い。2004年「チェルベテリとタルキニアエトルリア古代都市群」として世界遺産(文化遺産)に登録された。

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世界大百科事典 第2版の解説

チェルベテリ【Cerveteri】

イタリア,ローマの北西約45kmにある古代都市。エトルリア12都市同盟の一つ。古代名カエレCaere。ヘロドトスはテッサリア人が建設したと記しているが,考古学資料によれば前8世紀エトルリア人によって造られたとされる。海上貿易によって栄えた都市で,その最盛期は前6世紀である。貿易立国であったため時代によってカルタゴタルクイニア,ローマと同盟関係にあったが,前293年もしくは前273年ローマに征服され,ローマ帝政時代には単なる集落に帰した。

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世界大百科事典内のチェルベテリの言及

【エトルリア美術】より

…スフィンクス,グリフォンなどの動物文,ロータス文,ロゼット文などの植物文にこの時代の東方的要素を見ることができる。この時代は,鉱物資源の開発やギリシアおよび東方との貿易によって経済基盤の確立した時代でもあり,ベイオ(ウェイイ),タルクイニアチェルベテリ,それにブルチVulciなどの都市が発展し,豊かな副葬品を伴う墓(カンパーナの墓,レゴリーニ・ガラッシの墓など)が数多く造られた。またローマを中継地とする〈塩の道〉によって南イタリアのギリシア美術とも直接的な接触をもち,前7世紀後半から,コリント式陶器を模した陶器も製作されるようになった。…

【ブッケロ】より

…南イタリアや北アフリカからの出土は,エトルリア人との交易活動を証明している。主たる製作地はタルクイニア,ブルチ,チェルベテリなどである。【青柳 正規】。…

※「チェルベテリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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