タルクイニア(その他表記)Tarquinia

改訂新版 世界大百科事典 「タルクイニア」の意味・わかりやすい解説

タルクイニア
Tarquinia

イタリア,ローマ北西約80kmにあるエトルリアの古代都市。古代名はエトルリア語でタルクナTarch(u)na,ラテン語でタルクイニイTarquinii。エトルリア12都市同盟の中心的都市国家であり,前8世紀から前5世紀まで栄えた。最初に定住したのは鉄器時代初期のビラノーバ文化を担った人々で,前8世紀にエトルリア人が都市国家を形成した。ヘロドトスによれば,トロイア戦争直後にリュディアからエトルリア人を伴ったテュルセノスの兄弟タルコンによって建設されたという。最盛期は前6世紀で,ローマに王朝を樹立し,カンパニア地方にまで勢力を広げた。前4世紀以降,ローマの圧力を受けるようになり,前3世紀その周囲にローマ植民市が建設されたため衰退した。タルクイニアは強固な城壁で囲まれた都市国家であり,とくにその周辺に散在する墓地の出土品は,エトルリア文化研究の上できわめて重要な位置を占めている。前9世紀ころのビラノーバ文化期の青銅器は,ドナウ川流域,エーゲ海,西ヨーロッパの諸文化の要素を示している。また,前6世紀後半からの墓の内部は壁画によって飾られ,ギリシア,とくにイオニア地方の美術を反映している。アルカイク時代の〈雄牛の墓〉〈鳥占いの墓〉〈雌獅子の墓〉や,ヘレニズム時代の〈鬼の墓〉〈テュフォンの墓〉などが代表例である。石棺やテラコッタ製塑像にも優品が多く,タルクイニア国立博物館,ローマのビラ・ジュリア国立博物館などに収蔵されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タルクイニア」の意味・わかりやすい解説

タルクィニア
たるくぃにあ
Tarquinia

イタリア中部、ラツィオ州ビテルボ県の都市。人口1万4859(2001国勢調査速報値)。ローマの北西約90キロメートルにある。町はエトルリア時代に起源をもち、当時エトルリア地方最大の都市国家の一つであった。豊かな耕地鉱山を有し、手工業(金属製品、陶器など)が盛んで、内外との交易によって繁栄し、紀元前7、6世紀に最盛期を迎えた。前7世紀末ローマ王となったタルクィニウス・プリスクスは当地の出身と伝えられる。前5世紀以降は経済的に衰退し始め、ローマの進攻にあって結局前268年にこれと同盟を結び(ローマは前181年、付近に植民市グラウィスカエを建設)、同盟市戦争によってローマ市民権を与えられ、そのムニキピウム(自治都市)となった。現在の町の郊外に前9世紀以降の墓が数多く発掘されているが、とくに前6~前2世紀に編年される数十の墓は、壁一面色鮮やかに当時の日常生活や自然、神々などを描いた壁画で有名である。古代の町は7、8世紀にアラブ人によって破壊され、ほとんど廃墟(はいきょ)と化し、中世初期そこから約3キロメートル離れた所に新しい町が建てられた。

 現在の町はこの中世の町から発展したもので(1922年までコルネートCornetoとよばれた)、周辺の農業地域の中心地となっている。中世の建物が多く残っており、考古学博物館などとして用いられている。

[平田隆一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タルクイニア」の意味・わかりやすい解説

タルクイニア
Tarquinia

イタリア中西部,ラツィオ州北西部,ビテルボ県の都市。ローマ北西約 80km,チレニア海岸から 7km内陸に位置する。北東 2kmの丘上にあるエトルリアの遺跡で知られる。前8世紀には,すでにエトルリア文化が成立。前6世紀のエトルリア 12都市同盟で指導的役割を果たした。前4~3世紀に最盛期を迎え,鉱物資源や,青銅器,陶器などの工芸に加え,帆布用の亜麻布で知られた。前 351年にローマに敗れ,前 181年にその植民都市となった。そののちは,塩,ワイン,サンゴの集散地となったが,5世紀のマラリアの流行,6世紀のランゴバルドの侵攻などで衰退。数千の墓 (前6~4世紀) や内部のフレスコ壁画,エジプト王ボッコリス (前8世紀) の名を刻んだ壺などは,エトルリア遺跡,遺物のなかでも,特に知られている。これらの遺跡群は,2004年チェルベテリ遺跡とともに世界遺産の文化遺産に登録された。国立タルクイニア博物館 (旧ビテレスキ宮殿) はエトルリア遺物の展示で名高い。人口1万 3784 (1991推計) 。

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世界大百科事典(旧版)内のタルクイニアの言及

【エトルリア美術】より

…スフィンクス,グリフォンなどの動物文,ロータス文,ロゼット文などの植物文にこの時代の東方的要素を見ることができる。この時代は,鉱物資源の開発やギリシアおよび東方との貿易によって経済基盤の確立した時代でもあり,ベイオ(ウェイイ),タルクイニアチェルベテリ,それにブルチVulciなどの都市が発展し,豊かな副葬品を伴う墓(カンパーナの墓,レゴリーニ・ガラッシの墓など)が数多く造られた。またローマを中継地とする〈塩の道〉によって南イタリアのギリシア美術とも直接的な接触をもち,前7世紀後半から,コリント式陶器を模した陶器も製作されるようになった。…

【ブッケロ】より

…南イタリアや北アフリカからの出土は,エトルリア人との交易活動を証明している。主たる製作地はタルクイニア,ブルチ,チェルベテリなどである。【青柳 正規】。…

※「タルクイニア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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