タルクィニア(読み)たるくぃにあ(英語表記)Tarquinia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タルクィニア」の意味・わかりやすい解説

タルクィニア
たるくぃにあ
Tarquinia

イタリア中部、ラツィオ州ビテルボ県の都市。人口1万4859(2001国勢調査速報値)。ローマの北西約90キロメートルにある。町はエトルリア時代に起源をもち、当時エトルリア地方最大の都市国家の一つであった。豊かな耕地鉱山を有し、手工業(金属製品、陶器など)が盛んで、内外との交易によって繁栄し、紀元前7、6世紀に最盛期を迎えた。前7世紀末ローマ王となったタルクィニウス・プリスクスは当地の出身と伝えられる。前5世紀以降は経済的に衰退し始め、ローマの進攻にあって結局前268年にこれと同盟を結び(ローマは前181年、付近に植民市グラウィスカエを建設)、同盟市戦争によってローマ市民権を与えられ、そのムニキピウム(自治都市)となった。現在の町の郊外に前9世紀以降の墓が数多く発掘されているが、とくに前6~前2世紀に編年される数十の墓は、壁一面色鮮やかに当時の日常生活や自然、神々などを描いた壁画で有名である。古代の町は7、8世紀にアラブ人によって破壊され、ほとんど廃墟(はいきょ)と化し、中世初期そこから約3キロメートル離れた所に新しい町が建てられた。

 現在の町はこの中世の町から発展したもので(1922年までコルネートCornetoとよばれた)、周辺農業地域中心地となっている。中世の建物が多く残っており、考古学博物館などとして用いられている。

[平田隆一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タルクィニア」の意味・わかりやすい解説

タルクイニア
Tarquinia

イタリア中西部,ラツィオ州北西部,ビテルボ県の都市。ローマ北西約 80km,チレニア海岸から 7km内陸に位置する。北東 2kmの丘上にあるエトルリアの遺跡で知られる。前8世紀には,すでにエトルリア文化が成立。前6世紀のエトルリア 12都市同盟で指導的役割を果たした。前4~3世紀に最盛期を迎え,鉱物資源や,青銅器,陶器などの工芸に加え,帆布用の亜麻布で知られた。前 351年にローマに敗れ,前 181年にその植民都市となった。そののちは,塩,ワイン,サンゴの集散地となったが,5世紀のマラリアの流行,6世紀のランゴバルド侵攻などで衰退。数千の墓 (前6~4世紀) や内部のフレスコ壁画,エジプト王ボッコリス (前8世紀) の名を刻んだ壺などは,エトルリア遺跡,遺物のなかでも,特に知られている。これらの遺跡群は,2004年チェルベテリ遺跡とともに世界遺産の文化遺産に登録された。国立タルクイニア博物館 (旧ビテレスキ宮殿) はエトルリア遺物の展示で名高い。人口1万 3784 (1991推計) 。

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