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チュニス Tunis

翻訳|Tunis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チュニス
Tunis

チュニジアの首都,チュニス県の県都。アラビア語ではチューニス Tūnis。地中海最古の都市の一つで,チュニス湾南西の旧外港ラグーレット港から 10kmに位置し,運河で結ばれている。太古,リビア人によって建てられ,前 800年頃からフェニキア人の植民都市カルタゴの衛星都市となった。前 146年第3次ポエニ戦争でカルタゴとともに破壊されたが,ローマ皇帝治下に再建,繁栄した。 698年アラブの征服者ハッサーンがカルタゴを破壊したとき,チュニスは一寒村にすぎなかったが,ハッサーンはここに兵器庫を設置し,エジプト住民 1000戸を移住させた。アグラブ朝 (800~909) 時代からは首都となり,1830年以降近代的市街の発展が始まった。リン酸肥料,製粉,セメント,鉄道修理,オリーブなどの果実加工などの工場が立地。オリーブ油,ワイン,穀類,皮革,羊毛製品などを輸出する。旧市街は「オリーブの木のモスク」と呼ばれる大モスクをはじめ,多数のイスラム建造物,スーク (市場) などがあり,1979年世界遺産の文化遺産に登録。港の周辺にはフランス風の整然とした市街がある。カルタゴの遺跡は北東 16km,南東にはザグワーン山からカルタゴへ給水したローマ時代の水道の跡がある。バルドー博物館はフェニキア,ローマ時代の遺物,美術品の収集で知られる。人口 75万9000(2009)。

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百科事典マイペディアの解説

チュニス

チュニジアの首都。アラビア語ではトゥーニス。同国北東部,地中海に臨む港湾都市。商工業の中心地。市街はチュニス湖とその西方の塩湖の間の地峡部にあり,チュニス湖を横断する運河で外港のラグレットと結ばれる。
→関連項目カルタゴチュニジア

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世界大百科事典 第2版の解説

チュニス【Tunis】

チュニジアの首都。人口67万4000(1994)。アラビア語ではトゥーニスTūnis。古代から現代に至るまで,北アフリカの主要都市の一つ。チュニジア北東部の地中海岸のチュニス湾に面し,セジュウミ,アリアナの二つの塩湖を背にした比較的平たんな土地に恵まれ,民家の壁の白さが印象的な港湾都市である。町のそもそもの起源は不明だが,前5~前4世紀ころには,テネスTenesまたはテュネスTynesなどとよばれるカルタゴの衛星集落があった。

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大辞林 第三版の解説

チュニス【Tunis】

チュニジア共和国の首都。地中海に臨む港湾都市で、郊外にカルタゴの遺跡がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チュニス
ちゅにす
Tunis

北アフリカ、チュニジアの首都。同国の政治、経済、文化、交通の中心地である。人口67万4142(1994センサス)、69万6700(2002推計)。市街地はチュニス湾奥のチュニス湖(潟湖(せきこ))とセジュミ塩湖とに挟まれた地峡上に立地する。チュニス港から潟湖の入口の外港ラグーレットまで運河があり地中海と結ばれている。チュニジアの北部と南部、内陸部と地中海を結ぶ十字路に位置し、国際的にもシチリア島(イタリア)、マルタ島と向かい合い、地中海中央を押さえる位置にある。北東郊20キロメートルにはカルタゴ遺跡がある。気候は地中海式気候で、夏暑く乾燥し、冬はやや寒く(1月の平均気温11℃)少雨があるが、春秋は快適な気候である。
 メディナとよばれる古いアラブ風市街は地峡の中央にあり、中庭をもつ方形住居が密集している。その狭い通路には伝統工芸品を並べる観光土産(みやげ)品街(スーク)や古いモスクもある。メディナの東は碁盤目状のヨーロッパ風市街地が広がる。中央緑地帯の美しいブルギバ通り、これに直交するパリ通り、カルタゴ通りが中心街である。南部は機械、食品、繊維、冶金(やきん)、セメントなどの工業地帯になっている。西には官庁、チュニス大学、バルドー博物館がある。南の海岸にエッザラなど住宅地があったが、独立後の人口増加で北郊に住宅地が延びており、チュニス・カルタゴ国際空港周辺にはシェルギア工業団地が形成されている。ほかにメディナの再開発、地下鉄建設、両湖岸の緑地化計画などがある。なお、メディナとカルタゴの遺跡が1979年に世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。[藤井宏志]

歴史

古くから町は存在したが、国の政治的中心地となったのは13世紀ハフス朝のとき、カイルアンにかわり首都となってからである。1574年以後のオスマン帝国支配下でも、チュニジアを治めるパシャ、ベイの首都として発展した。1881年フランスの保護領となり統監府の所在地として発展し、近代的な港湾と都市が建設された。第二次世界大戦中一時イタリア・ドイツ軍に占領されたが、連合軍により奪回された。1956年の独立以後、チュニジアの首都として発展を続け、人口も増加の一途をたどっている。[藤井宏志]

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