翻訳|Texas
アメリカ合衆国南西部の州。面積69万2402平方キロメートルは、アラスカ州に次いで合衆国第2位である。人口2085万1820(2000)。北はオクラホマ州、西はニュー・メキシコ州、南はリオ・グランデ川を境にしてメキシコ、東はルイジアナ州とアーカンソー州にそれぞれ接し、南東部はメキシコ湾に面する。州都はオースティン。メキシコ湾岸には長い砂州が発達し、砂州の内側にガルベストン、コーパス・クリスティなどの湾がある。ダラス、オースティン、サン・アントニオを結ぶ線のほぼ東側が海岸平野であり、ここにはメキシコ湾と平行していくつかのケスタ地形が発達している。海岸平野の西側には、中央低地とグレート・プレーンズの南への延長部分が広がる。州の最西端部分にはロッキー山脈の南端部があり、州最高峰のグアダループ山(2667メートル)は国立公園(グアダループ・マウンティンズ国立公園)になっている。河川はほぼ北西から南東に向かって流れ、オクラホマ州との境になっているレッド川、ルイジアナ州との境になっているサビーン川のほかにトリニティ川、ブラゾス川、コロラド川、ペコス川、リオ・グランデ川などがある。これらの川はいずれも降水量の少ない地域を流れるため、川の途中には水利用の多目的ダムがある。気候は広大な面積を反映して変化に富む。メキシコ湾沿岸は湿潤亜熱帯型の気候を示すが、中央部から西側は半乾燥気候となる。南東部のガルベストンでは年降水量が1500ミリメートルに達するが、西側のエル・パソではわずか200ミリメートルである。
州の主要産業は農牧業と石油関連産業である。テキサスは農場数、農地面積、肉牛頭数、羊頭数で全米一であり、販売額の多いのは肉牛、綿花、トウモロコシ、牛乳である。肉牛と羊の飼育は降水量の少ない西部に集中している。綿花は中央部とオクラホマ州に突き出たパンハンドル地域南部で灌漑(かんがい)によって栽培されている。テキサス東部は綿花と米の栽培地帯であり、リオ・グランデ川下流は温暖な気候を利用して、ニンジン、タマネギ、ホウレンソウなどの冬野菜とスイカ、メロン、柑橘(かんきつ)類が栽培されている。州最大の生産額を占めるのは石油、天然ガスの採掘、および石油精製と石油化学工業である。1901年にテキサス州東部で油田が発見され、30年代以来テキサスは合衆国の石油生産のほぼ3分の1を生産している。天然ガス生産でも全米第1位である。石油精製と石油化学工業は南東部のボーモント、ポート・アーサー、ヒューストン、ガルベストン、テキサス・シティを中心に発達している。その他の工業としては、フォート・ワース、ダラス、ヒューストン、サン・アントニオの油田用機械製造、内陸諸都市の食品加工があり、自動車、機械、金属加工、衣服などの工業もある。このような工業発展と恵まれた自然環境を求めてテキサスに流入する人々が増加し、1980年から2000年にかけての人口増加率は約47%に達した。
南西部は、躍進する南部の一角を占め、ニュー・サウス・サンベルトなどとよばれて、いま急速に変化している。州の最大都市ヒューストンはその中心で、テキサスにはアメリカのもっとも近代的な部分と古い西部が同居しており、観光客にとっても興味深い。ヒューストンには、航空宇宙局(NASA(ナサ))が1961年に設立した宇宙センターがあり、69年人類初の月面着陸を成功させて有名になった。ここにはその展示館がある。また2000年完成の開閉式ドーム球場エンロンフィールド(現ミニッツメイド・パーク)も有名である。州の南西部にあるサン・アントニオはスペイン領時代からの歴史を誇り、古い町並みも保存されている。市の中心部に1836年ボウイ大佐が率いるテキサス部隊がメキシコの大軍を相手に壊滅したアラモの砦(とりで)がある。
[菅野峰明]
テキサスという名称は、「友人」または「味方」を意味する先住民のことばに由来する。初めてこの土地を訪れた白人は、1519年にメキシコ湾岸地域を探検したスペイン人のデ・ピニェーダAlonso Alvárez de Pineda(生没年不詳)である。17世紀の後半、フランスの進出を警戒したスペイン政府は、軍の砦(とりで)と布教所の建設を積極的に進め、テキサスは1691年正式にスペインの領土に編入された。1821年メキシコがスペインから独立し、テキサスはそのままメキシコ領となる。アメリカ人のテキサス植民が始まったのも同じ年である。その後、アメリカ南部から移住者の流入が続き、1835年には同地のアメリカ人の数は2万5000人を超えた。メキシコ政府の奴隷制禁止に不満を抱く彼らは自治を求めて反乱を起こし、翌36年には有名なアラモ攻防戦を経て、テキサス共和国の独立を達成した。
アメリカ合衆国が膨張主義の高まりにのってテキサスを併合し、その州としたのは1845年のことである。奴隷制を認めていた同州は、南北戦争に際しては連邦を脱退して南部連合側についた。南北戦争後のテキサスでは畜産が栄え、北方の大平原へ牧童が肉牛を追う「ロングドライブ」の出発地となった。20世紀に入ると、石油王国としてにわかに脚光を浴びるようになる。そして第二次世界大戦後には、航空、宇宙、化学といった時代の先端をいく諸産業が集まって、いまや「サンベルト」の中心的な位置を占めている。
[平野 孝]
アメリカ合衆国南西部,メキシコ湾に面した広大な州。略称Tex.。連邦加入1845年,28番目。面積69万1030km2,人口2514万5561(2010)。州都オースティン,最大都市ヒューストン。日本の総面積の1.8倍にもおよぶテキサスは,アラスカに次ぐ規模を誇る州で,テキサス風といえば,なんでも大きいこと,おおげさなことを意味するほどである。西半分は,グレート・プレーンズ南端部をなし,リャノ・エスタカードとも呼ばれる台地が広がる。南東に向かってしだいに高度が下がり,東半分は人口密度が高く州経済の中心をなす肥沃な海岸平野が広がる。北西から南東方向に流れるリオ・グランデ,ブラゾス,レッドなどの河川はメキシコ湾に注ぎ,この湾岸には多くの湿地や砂州がみられる。ステップ気候の地域が多いが,西部には砂漠もあり,また東部は湿潤温暖気候への漸移地帯をなし,森林もみられる。
同州の経済発展には,綿花,牧畜,石油が大きく貢献してきた。19世紀中ごろまでには,東部で綿花栽培が行われていたが,その後栽培地域は州全域に広がり,今日全米1位(1980)の生産を誇る。灌漑農業の発達にともない,野菜,米,かんきつ類の生産も盛んである。また大牧場とカウボーイはテキサスを代表する特徴の一つで,とくに19世紀後半の人口増加や鉄道の発達にともなって,同州西部で牧畜業の急速な発展がみられた。1390万頭の牛(おもに肉牛)をはじめ,豚,羊,鶏の生産も大きい。フォート・ワースやアマリロは家畜の競売で知られ,多くは肥育のためにコーン・ベルト(トウモロコシ地帯)へ運ばれる。また,1901年南東部のボーモント近くのスピンドルトップで石油が発見されて以来,全米1位の石油生産地域として知られ,石油は経済発展に大きく寄与してきた。沿岸部からメキシコ湾沖合にかけて数多くの油井が立地し,石油精製・石油化学を中心に,各種の工業も発達している。近年アメリカの経済および人口の〈サン・ベルト〉への傾斜がみられるなかで,全国的企業の本社の流入や観光地開発もみられる。先端産業の発達もめざましく,ヒューストンのNASA(ナサ)による宇宙開発事業は有名である。
スペイン人がインディアンの土地であるテキサスに本格的に侵入したのは17世紀末期である。当時は,東部で農耕・定住文化を築いたカドー・インディアンをはじめ,西部の台地のアパッチ族,北西部の平原地帯で狩猟を営んでいたコマンチやトンカワなどの諸部族がこの地域で生活していた。18世紀にはスペイン人によってサン・アントニオをはじめとしてミッション(布教拠点)と城砦が設けられた。1821年スペインからのメキシコの独立によってメキシコ領となったが,ルイジアナ購入(1803)による合衆国領土の拡大にともないアメリカ人入植者がこの土地へ流入した。サン・アントニオのアラモ砦での戦闘をはじめとするメキシコ人との抗争を経て,1836年テキサス共和国として分離独立し,45年連邦に加入した。メキシコ系アメリカ人は州人口の21%を占める。とくにメキシコとの国境をなすリオ・グランデ川沿いの地域は,景観的にも文化的にもメキシコ色が強く,〈ウェットバックwetback〉と呼ばれるメキシコ側からの不法入国者も多い。
執筆者:正井 泰夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アメリカ南西部の一州。16世紀にスペイン人が探検し支配下に置いた。1821年メキシコ独立とともにメキシコ領となったが,アメリカからの移住者が反乱を起こし36年独立を宣言,45年に州としてアメリカに加入するまで独立国であった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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