百科事典マイペディア 「ルイジアナ購入」の意味・わかりやすい解説
ルイジアナ購入【ルイジアナこうにゅう】
→関連項目アイオワ[州]|アーカンソー[州]|オクラホマ[州]|カンザス[州]|カンザス・ネブラスカ法|コロラド[州]|サウス・ダコタ[州]|ジェファソン|テキサス[州]|ニューオーリンズ|ネブラスカ[州]|ミシシッピ[川]|ミズーリ[州]|ミズーリ協定|モンロー|ルイジアナ[州]|ワイオミング[州]
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アメリカ合衆国によるルイジアナの購入。1762年以降スペイン領であったが,1800年の秘密条約により他国に譲渡しないという約束のもとでフランスに所属していたミシシッピ川以西ロッキー山脈にいたる領土〈ルイジアナ〉を,1803年アメリカ合衆国が1500万ドルで買い,その結果,領土は倍加した。譲渡を取り決めた〈ルイジアナ条約〉は03年4月30日パリで調印され,合衆国上院の条約批准を経て,12月20日正式に合衆国領となった。ミシシッピ川の航行権を確保し,将来における西部地域への拡大・発展を確実なものにするために,ジェファソン大統領はフランスとの交渉を開始したが,ハイチでの黒人奴隷反乱(トゥサン・ルベルチュールの反乱,1801-03)鎮圧に失敗し,またヨーロッパでの戦争のために軍事費を調達しなければならなかったフランス(ナポレオン)側の事情も,アメリカに有利に作用した。
新たな領土を併合することに関連して憲法上の問題が提起され,ジェファソンは憲法改正の手続が必要であると考えたが,条約締結権など憲法により連邦政府に認められた諸権限の集合から領土購入は可能であるとする議論に,彼は従った。みずからの国内政治における相対的地位の低下をおそれたフェデラリスツなどの反対もあったが,合衆国の西方発展を国家的使命とみる風潮には抗すべくもなかった。ルイジアナ領土の統治に関して複雑な問題,たとえば連邦加入の時期・条件などがあったが,ジェファソンは柔軟に対処し,合衆国膨張の基礎をつくった。さらに,この地域の開発の可能性をさぐるために,ルイス=クラーク探検隊が派遣された。
執筆者:明石 紀雄
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1803年、アメリカ合衆国が、ミシシッピ川とロッキー山脈の間の広大なルイジアナ地方をフランスから購入した事件。スペイン領であった同地方は、1800年フランスに返還され、従来認められていたアメリカ人のニュー・オーリンズにおける荷の貯蔵権が停止された。そこで大統領ジェファソンは、J・モンローらをフランスへ派遣、その交渉にあたらせた。ルイジアナをサン・ドマング植民地への食糧供給地とするナポレオン1世の構想は、同植民地の黒人革命によって破綻(はたん)したので、彼は対イギリス戦への準備も考慮し、不要になったルイジアナ全体をわずか1500万ドルで合衆国に売却した。この予想外の取引により、合衆国の領土は倍増し、西部発展の契機となった。
[竹本友子]
…1800年の大統領選挙においてリパブリカンズは勝利し,彼は大統領に選出され,就任演説で,アメリカは〈人類最上の希望〉であると述べた。大統領在任中の最大の功績は,ルイジアナ購入(1803)である。合衆国領土は一挙に倍加し,太平洋岸までの発展が保障された。…
※「ルイジアナ購入」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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