1960年代以後のアメリカの大衆音楽で,最も重要な歌手,作詞作曲家。本名ロバート・ジンマーマンRobert Zimmerman。ユダヤ系の両親のもと,ミネソタ州で生まれる。高校時代はロックンロールを歌い,ギターを弾いていたが,大学をドロップアウトしてニューヨークに出,当時盛んになりつつあったフォーク・ソング運動の渦中に飛び込み,《風に吹かれてBlowin' In The Wind》を62年に発表して時代の寵児となった。この歌は公民権運動の中で広く歌われたが,ディラン自身は自分がそのような運動のシンボル的存在とされてゆくことを嫌ったようで,65年からロックの要素を大幅に取り入れた《ミスター・タンブリンマンMr.Tambourine Man》などで音楽的な方向転換を明示して物議をかもした。だが彼が一般の若者の間でスター的存在となり,レコードもヒットするようになったのはそれ以降のことであった。このあと60年代後半が,ディランが最も充実した音楽活動を示した時期で,70年代に入ると,それまでの自信にあふれた創作活動にややかげりが見え始め,80年代に入るとともに作品に宗教的なにおいが強くなって,デビュー当初の反体制的なイメージとは大きく変わってしまっている。
執筆者:中村 とうよう
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…そうした中から,ザ・キングストン・トリオThe Kingston Trioによる古い民謡のリメーク《トム・ドゥーリーTom Dooley》(1958)が大ヒットして,フォーク・ソングは完全にポピュラー音楽の一部門を占めるにいたった。60年代,革新ムードがアメリカを覆う中で,フォーク・ソングはおおいにもてはやされ,プロテスト・ソングの伝統を継ぐシーガーやボブ・ディランから,かなり商業主義の色彩の強いものまで,それぞれに人気を集めたが,60年代の後半に徐々に変質し,一部はロックに合流し,一部は衰退していった。 日本でも64年ころからキングストン・トリオなどを模倣した学生グループが現れ,マイク真木の《バラが咲いた》(1966。…
…メディアはLPレコード,テレビ,FMラジオに切り替わり,音楽産業は多国籍複合企業体の支配下に置かれ,新しい情報産業の一環として,ペイオーラといった姑息な手段でなく,もっと大がかりで巧妙な大衆の意識操作による大量販売方式へと進んできている。 こうした音楽業界の内情とは裏腹に,1960年代のフォーク・ソングと新しいロックの台頭以後,ボブ・ディランやビートルズに代表されるスーパースターたちは,音楽産業によって作り出されたというよりも,自分自身の音楽的姿勢のもとに自身が作詞・作曲し,手づくりでサウンドを発展させてきた。まして70年代にカリブ海の小さな黒人国ジャマイカで起こったレゲエ,80年代にアフリカのナイジェリアやザイール(現,コンゴ民主共和国)から世界に飛び出してきたアフロ・ミュージックなどは,巨大音楽産業の関知せぬところからこそ,真にインパクトのあるポピュラー音楽が生まれてくるということを示す。…
※「ディラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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