ドイツおよびアメリカの映画女優。ベルリンに生まれ,父も母の再婚による養父もプロイセン軍の将校で,〈感情を隠すことが家庭でのしつけのすべて〉として育てられた。そのような身についた感情の欠如と無表情が,のちに映画監督ジョゼフ・フォン・スタンバーグの目をとらえることになる。はじめマックス・ラインハルトの演劇学校で学び,ドイツの雑誌でグレタ・ガルボと比較される人気女優になっていた1929年,スタンバーグに認められて《嘆きの天使》(1930)のローラ・ローラの役に抜擢(ばつてき)され,〈脚線美〉と〈退廃的な美貌〉で全世界の話題をさらった。パラマウントと契約してアメリカへ渡り,MGMのガルボのライバルとして売り出され,《モロッコ》(1930),《間諜X27》(1931),《上海特急》《ブロンド・ビーナス》(ともに1932),《恋のページェント》(1934),《西班牙(スペイン)狂想曲》(1935)と6本のスタンバーグ監督作品に出演した。スタンバーグは彼女を〈光と影〉の造形で〈美の化身〉に仕立てあげる。2人の〈協力関係〉は,人気の衰えとスタンバーグの離婚をめぐるスキャンダルのため35年に解消された。
ディートリヒはイギリスで《鎧なき騎士》(1937)に出演,駐英ドイツ大使リッベントロップを通じて,ドイツへ帰ってナチスのスターになるようヒトラーの要請を受けたが拒否し,39年にはアメリカ市民となった。西部劇《砂塵》(1939)で酒場女を演じ,スタンバーグ監督と別れてからもなお人気スターであることを証明したが,その後ヒット作はほとんどなく,〈box-office poison(映画興行の“癌”)〉と呼ばれた。第2次世界大戦の間はアメリカ将兵を慰問してまわり,またドイツ語で反ナチスの宣伝放送をし,〈自由勲章〉を贈られ,フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章を贈られた。一時,ジャン・ギャバンと結婚(2人で共演したフランス映画《狂恋》(1945)がある),50年代に女優としての人気が衰えてからは,世界各地で特徴あるハスキーな声のエンタテイナーとして活躍した。アメリカ女性の流行になったスラックスは,ディートリヒが全盛期に先鞭をつけたものといわれる。著書に《マルレーネ・ディートリヒのABC》(1961)および自伝《マルレーネ・D》(1979年にドイツとアメリカで同時出版された)があり,《嘆きの天使》の主題歌《また恋してしまったのよ》や《花はどこへ行った》など数々のヒット曲を含むレコードも多数。
執筆者:柏倉 昌美
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アメリカの女優、歌手。ベルリンの中流貴族の家柄の出身で、演劇と音楽を学んだのち、1923年から映画と舞台に出演。1930年、ハリウッドのスタンバーグ監督のドイツ映画『嘆きの天使』のローラ役に抜擢(ばってき)され、同年アメリカ映画界入りをし、スタンバーグ監督とのコンビで1935年までに『モロッコ』『間諜(かんちょう)X27』『上海(シャンハイ)特急』『ブロンド・ヴィナス』『恋のページェント』『西班牙(スペイン)狂想曲』の6本に主演。「100万ドルの脚(あし)」と退廃美で一時代を築き、G・ガルボとしばしば対比された。ナチスを嫌って1939年にはアメリカに帰化し、第二次世界大戦中はヨーロッパの前線で兵士の慰問に活躍した。『リリー・マルレーン』をはじめとする持ち歌で、1953年以降はエンターテイナーとしても活躍、1970年(昭和45)の大阪万国博覧会で初来日した。その他の映画出演に『砂漠の花園』(1936)、『鎧(よろい)なき騎士』(1937)、『狂恋』(1946)、『情婦』(1958)など。
[畑 暉男]
『高橋英一著『愛しのマレーネ・ディートリッヒ』(1984・文化出版局)』
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…テオドリックはまた他のゲルマン部族国家との協力を重視し,これら諸国から調停者としての役割を期待された。伝説上〈ベルンのディートリヒDietrich von Bern〉として知られる。【中村 宏】。…
…アメリカの映画監督。アメリカのギャング映画の歴史を開いた《暗黒街》(1927)の監督であるとともにマルレーネ・ディートリヒを世界的なスターに仕上げたドイツ映画《嘆きの天使》(1930)の名監督として知られる。ウィーンの中流ユダヤ人家庭に生まれたが,貴族を思わせる〈フォン〉は,のちにアメリカの映画製作者の商魂によって付け加えられたもの。…
…女流監督レオンティーネ・ザガン(1889‐1974)の《制服の処女》(1931)などと並んでドイツのトーキーの本格的到来を告げるとともに,またワイマール時代のドイツ映画の末期を飾った作品である。スタンバーグに発見されたマルレーネ・ディートリヒが一躍スターとなったことでも知られる。帝制ドイツの教育制度と教育者のまやかしの権威と偽善性を告発したハインリヒ・マンの小説《ウンラート教授――ある暴君の末路》(1905)の映画化で,ふとしたことからキャバレー〈青い天使〉(《嘆きの天使》の原題)の歌手(ディートリヒ)の色香に迷う道学者ぶった謹厳な高校教師(エミール・ヤニングス)の堕落とその末路を描く。…
…ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督作品。ドイツ映画《嘆きの天使》(1930)でスタンバーグ監督により発見され一躍スターになったマルレーネ・ディートリヒが,ハリウッドに〈輸入〉されて出演した初めてのアメリカ映画であり,〈ピグマリオンとガラテア〉にたとえられたスタンバーグ=ディートリヒコンビによる一連のハリウッド作品(1935年の《西班牙狂想曲》まで6本ある)の出発点となった。ドイツで上演されていた舞台劇《アミー・ジョリー――マラケシュからきた女》(1927)を原作とし,外人部隊の兵士とモロッコまで流れてきたキャバレーの歌手との絶望的なロマンスをエキゾティックにうたいあげたメロドラマだが,当時の〈シングル・トラック・システム〉という制限のなかで,必要な音声だけを巧みにとり入れた独創的な音響処理が高く評価された。…
※「ディートリヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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