ギャバン(英語表記)Jean Gabin

デジタル大辞泉 「ギャバン」の意味・読み・例文・類語

ギャバン(Jean Gabin)

[1904~1976]フランス映画俳優初期には伊達男だておとこ役、中年以降は渋い演技人気を集めた。主演作「望郷」「大いなる幻影」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ギャバン」の意味・読み・例文・類語

ギャバン

  1. ( Jean Gabin ジャン━ ) フランスの俳優裏町の強靱だが弱さも示す落伍者、破滅者などを持ち役とした。「望郷」「大いなる幻影」「霧の波止場」などに出演。(一九〇四‐七六

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改訂新版 世界大百科事典 「ギャバン」の意味・わかりやすい解説

ギャバン
Jean Gabin
生没年:1904-76

フランスの映画俳優。ミュージック・ホール芸人の子としてパリ郊外のメリエルに生まれ,19歳のとき父にすすめられてショービジネスの世界に入る。フォーリー・ベルジェールのダンサーとなり,ミュージック・ホールやオペレッタに出演したのち,しばらくムーラン・ルージュミスタンゲットの相手役をつとめる。1930年,映画にデビューし,G.W.パプストの《上から下まで》(1933),ジュリアン・デュビビエの《白き処女地》(1934)で頭角をあらわし,続くデュビビエの《地の果てを行く》(1935),《我等の仲間》《望郷》(ともに1936),ジャン・ルノアールの《どん底》(1936),《大いなる幻影》(1937),マルセル・カルネの《霧の波止場》(1938)など30年代フランス映画の代表的な作品で多彩なヒーロー,あるいはアンチヒーローを演じた。〈ハンサム型〉ではない〈男性的な〉スターとして国際的な人気を呼ぶ。第2次世界大戦中,ハリウッドへのがれて2本の凡作に出演したのち自由フランス海軍に加わり,戦功十字章を与えられる。戦後はしばしば引退をうわさされたが,《港のマリー》(1949),《現金に手を出すな》(1953),《ヘッドライト》(1955)その他で悲哀のにじむ中年男を演じた。63年,フェルナンデルと共同で〈ギャフェル・フィルムズ〉を設立。《シシリアン》(1969),《暗黒街のふたり》(1973)などでアラン・ドロンを引き立たせた。《歳月L'année》(1976)が最後の作品。脚本の要求するイメージにこたえた〈スター〉として,アンドレ・バザンが高く評価した俳優である。1954年にレジオン・ドヌール勲章を授与された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギャバン」の意味・わかりやすい解説

ギャバン
ぎゃばん
Jean Gabin
(1904―1976)

フランスの映画俳優。パリ郊外メリエルに生まれる。種々の職業を経て、シャンソン歌手としてミュージック・ホールやオペレッタに出演し、トーキー到来とともに映画界に入った。ジョセフィン・ベーカーの相手役などを経て、1930年代にはデュビビエ監督の『地の果てを行く』『我等(われら)の仲間』『望郷』、ジャン・ルノワール監督の『どん底』『大いなる幻影』などの名作に出演し、フランスを代表するスターとなった。1950年以降は『現金(げんなま)に手を出すな』(1954)、『ヘッドライト』(1956)、『可愛(かわい)い悪魔』(1958)、『地下室のメロディー』(1963)、『シシリアン』(1969)、『暗黒街のふたり』(1973)などの諸作に年輪の重みを感じさせる円熟した演技を示した。1954年にレジオン・ドヌール勲章を授与された。

[畑 暉男]

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百科事典マイペディア 「ギャバン」の意味・わかりやすい解説

ギャバン

フランスの映画俳優。1923年舞台にデビュー。1930年に映画界入りし,J.デュビビエ監督《地の果てを行く》(1935年),同《望郷》(1936年),J.ルノアール監督《大いなる幻影》(1937年),M.カルネ監督《霧の波止場》(1938年)などで1930年代フランス映画の主役を演じ,男性的な魅力で活躍。第2次世界大戦後はM.カルネ監督《港のマリー》(1949年),J.ベッケル監督《現金(げんなま)に手を出すな》等に主演,中年男性の悲哀を表現して評価された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギャバン」の意味・わかりやすい解説

ギャバン
Gabin, Jean

[生]1904.5.17. パリ郊外メリエル
[没]1976.11.16. パリ近郊ヌイイ
フランスの映画俳優。小学校卒業後セメント工,人夫などの職業に従事。 1923年以後舞台に出演するようになり,トーキー映画到来とともに映画界に入る。『地の果てを行く』 (1935) で人気を確立し,以来人間味あふれるキャラクターでフランス映画界を代表するスターとなった。主演作品『我等の仲間』 (36) ,『大いなる幻影』 (37) ,『ヘッドライト』 (55) ,『地下室のメロディ』 (62) など。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「ギャバン」の解説

ギャバン

正式社名「株式会社ギャバン」。英文社名「GABAN CO., Ltd.」。食料品製造業。昭和29年(1954)「エイト食品株式会社」設立。同46年(1971)「ギャバンスパイス株式会社」に改称。平成15年(2003)現在の社名に変更。本社は東京都中央区入船。味の素子会社の香辛料製造会社。販売先は外食産業など業務用が中心。輸入食材も扱う。JASDAQ上場。証券コード2817。

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世界大百科事典(旧版)内のギャバンの言及

【ディートリヒ】より

…第2次世界大戦の間はアメリカ将兵を慰問してまわり,またドイツ語で反ナチスの宣伝放送をし,〈自由勲章〉を贈られ,フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章を贈られた。一時,ジャン・ギャバンと結婚(2人で共演したフランス映画《狂恋》(1945)がある),50年代に女優としての人気が衰えてからは,世界各地で特徴あるハスキーな声のエンタテイナーとして活躍した。アメリカ女性の流行になったスラックスは,ディートリヒが全盛期に先鞭をつけたものといわれる。…

【デュビビエ】より

…とくに日本では圧倒的な人気と高い評価で,《にんじん》(1932),《白き処女地》(1934),《地の果てを行く》(1935),《我等の仲間》(1936),《望郷》《舞踏会の手帖》(ともに1937),《旅路の果て》(1939)などはフランス映画の珠玉の名作として多くの人々に記憶されている。 第2次世界大戦中はアメリカに渡って,オムニバス映画の傑作として知られる《運命の饗宴》(1942)などをつくり,戦後ヨーロッパにもどってフランス,イギリス,ドイツで監督をつづけたが,フランス・イタリア合作の《陽気なドン・カミロ》(1952)で面目を保ったにすぎず,とくに〈ヌーベル・バーグ〉以後は,戦後社会の時代の流れに取り残された〈職人作家〉とみなされるに至り,かつての成功作はシャルル・スパーク(1903‐75)やアンリ・ジャンソン(1900‐70)のシナリオの力によるものであり,デュビビエの最大の功績はジャン・ギャバンのスターとしてのイメージをつくりだしたことであるという程度に片づけられてしまっているほどフランスでは評価が低い。【柏倉 昌美】。…

【望郷】より

…《地の果てを行く》(1935),《我等の仲間》(1936)につづくジュリアン・デュビビエ監督作品。パリ警察の元警部の小説をもとにしてアンリ・ジャンソンが脚本を書き,ジャン・ギャバンが主演したデュビビエの代表作の一つ。日本ではとくに人気の高い作品である。…

※「ギャバン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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