ドイツ連邦共和国の憲法。1949年5月8日成立。1945年のポツダム宣言によって、第二次世界大戦後のドイツは英・米・仏・ソの共同管理のもとに置かれた。ドイツは共和国の崩壊、ヒトラー・ナチスの出現とその敗北によって壊滅的な状況となった。1945年6月5日、占領4か国の占領軍総司令官がベルリン宣言を発し、いかなる政府もドイツに存在しないことを確認し、4か国が「ドイツ統治の最高権力を保留する」旨を宣言した。その4か国が当初の管理政策を進めていく段階で一致点もみられたが、ドイツの基本的政治体制の実現をめぐって、当時、ソ連の主張する社会主義的ドイツの統一国家体制と、英・米・仏の主張する自由主義的ドイツの地方分権的連邦国家体制とが対立した。この対立が原因となり、1948年6月の西欧6か国のロンドン協定、ソ連傘下8か国によるワルシャワ外相会議を契機としてドイツは二つに分裂し、1949年5月8日の西ドイツ憲法と1949年10月の東ドイツ憲法の成立となった。しかし、西ドイツでは憲法が成立したといっても正確には「ドイツ連邦共和国基本法」Grundgesetz für die Bundesrepublik Deutschlandであり、ドイツ統一までの暫定憲法としてのものであった。もとより、その内容は政治機構の暫定的な組織だけを定めたものではなく、社会法治国家の原理や基本的権利までも網羅した恒久性をもったものである。東西ドイツ統一が1990年に実現し、暫定憲法とされた「ドイツ連邦共和国基本法」の骨格は統一ドイツの憲法として引き継がれたが、新しい事態に対応して、1994年に「改正基本法」が発効した。その後もヨーロッパ連合(EU)の成立や、経済危機をはじめとする世界的な変化に対応するため、たびたび改正が行われている。
[吉田善明]
第一に、ドイツが「民主的かつ社会的」国家であることを明記し、国家権力は国民から発する(20条1項・2項1段)とし、その権力は「立法、執行および裁判の個別的機関を通して」(20条2項後段)行使される、としている。その権力を行使する者を選ぶための手段として、選挙、限定的であるが国民表決、国民請願、政党および団体等を保障した。とくに、民主的意思形成にとって不可欠とされる政党の憲法的保障(21条)は注目される。
第二に、国民の基本権が保障され、第1条では、「人間の尊厳は不可侵であり、これを尊重し、保護することが国家権力に義務づけられている」、と定める。それを受けて、自由権、平等権、所有権の保障、婚姻、家族および学校、その他強制的な国籍剥奪(はくだつ)の禁止、庇護(ひご)権の保障などを定める。平等権、自由権の詳細な保障規定を置いていることはいうまでもないが、わけても所有権が「土地、天然資源および生産手段は、社会化の目的のために、補償の方法および程度を規律する法律により、公有または他の公共経済の形態に移すことができる」(15条1項)として、社会的法治国家の原理に即した形で定められていることに特徴がある。
第三に、政治機構であるが、憲法はワイマール憲法の崩壊の教訓を取り入れた政治機構を定める。すなわち、現行憲法では大統領は連邦を代表する元首である。しかしその権限は制限され、大統領、内閣のいずれもが連邦議会に直結した制度を採用した。具体的には、(1)大統領は、連邦議会および各州議会から選出された同数の議員で組織された連邦会議によって5年の任期で選挙される(54条1項・2項)。その大統領の権限は、国家元首が普通もっている権限(たとえば、法律の公布、連邦官吏の任免など)のほか、連邦首相の推薦権、緊急立法の宣言権、連邦議会の解散権など、連邦議会に対するある程度の牽制(けんせい)的権限が認められているにすぎない。(2)また、このワイマール憲法下の大統領にかわって強い権限が認められたのが政府(内閣)である。政府の中心である首相は、大統領の提案に基づいて連邦議会によって討論によらないで選ばれる(63条1項)。そして選ばれた首相に対し、連邦議会は首相の不信任案を通してコントロールすることができるが、この不信任案の可決は通常の議事と違い厳しい条件がつけられている(議院内閣制)。また、首相は「政府の方針」を決定しこれについて責任を負う(65条)。各大臣はこの政府の方針の範囲内において独立にかつ自己の責任において所轄事務を指揮する(65条)。そのほか、政府は、法律案、予算法律案の提案、さらには緊急を要する法律案について連邦参議院の同意を得て、大統領に立法上の緊急状態の宣言を出させる権限が認められている(81条)。このように政府の安定性と強い権限が保障されている。
第四に、議会は連邦参議院および連邦議会の二院制を採用している。連邦議会は、選挙によって選ばれた者で構成される。連邦参議院は、ラント(州)政府が任免し、立法行政ならびにヨーロッパ連合(EU)の事務に協力する機関とされている(50条)。
第五に、連邦憲法裁判所が設置されたことである。連邦憲法裁判所は、他のすべての憲法機関から自立し、かつ独立した連邦の裁判所である。憲法裁判所の裁判官は半数ずつ、連邦議会および連邦参議院によって選ばれている(94条)。連邦憲法裁判所の権限としては確定的に定められているわけではないが、(1)連邦とラントおよびラント相互間の権利・義務に関する憲法上の争訟、(2)抽象的な規範の審査、および具体的規範の審査、(3)憲法訴願、(4)政党に対する違憲審査などを行使することができる(93条・100条)。
そのほかドイツ憲法はワイマール憲法でみられない憲法秩序(「たたかう民主主義」)についての規定を保障していることも特徴である。たとえば、憲法の内容には、「自由な民主的基本秩序」(18条・21条2項)、あるいは「憲法秩序もしくは諸国民間の協調の思想に反する団体」(9条2項)の行為は許されないとしている。このことはワイマール民主主義の厳しい反省に根ざした憲法秩序の保障であると解されているが、ワイマール民主制の寛容民主主義と異なり、まったく逆の相いれない民主主義に対する規制は、場合によっては反体制主義を抑制する道具となり、民主主義そのものを否定することになる恐れがある。
1994年の改正では環境保護(20a条)、男女同権(3条2項)、障害者保護(3条3項)が明文化されたほか、亡命者や避難民の庇護権条項(16a条)の改正が施された。また、EUの基本的な取り決めであるマーストリヒト条約への対応条項が設けられ、その関連で、連邦と州の立法権に関する規定が加わった(23条)。ただし、ドイツ国防軍のPKO任務などによる海外出動に関しては、改正はなされず、憲法裁判所の基本法解釈によって実施している。さらに、EUの拡大や世界的な経済的危機などの変化に対応する必要から、1994年の改正後も15回におよぶ改正が2009年までになされている。おもな規定として連邦とラントの権限配分、連邦立法に関する連邦参議院の権限縮小、税財政改革に関するものなどがあげられる。
[吉田善明]
『初宿正典解説『ドイツ連邦共和国』(初宿正典・辻村みよ子編『新解説世界憲法集 第2版』所収・2010・三省堂)』▽『石川健治解説『ドイツ連邦共和国基本法』(高橋和之編『新版 世界憲法集』所収・岩波文庫)』
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「ドイツ基本法」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…47年マーシャル・プランによる援助開始と48年6月の通貨改革は50年代の旧西ドイツ経済復興の原動力となるが,同時に東西の対立を深める一因ともなった。49年5月ドイツ連邦共和国基本法Grundgesetz(憲法)が制定され,8月には最初の総選挙が行われ,9月になって第1次アデナウアー内閣が成立する。 旧西ドイツの大統領が象徴的に国家を代表するのに対して,政治の実権は首相(宰相)Bundeskanzlerが握ることになった。…
※「ドイツ連邦共和国基本法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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