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ドラング・ナハ・オステン Drang nach Osten

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドラング・ナハ・オステン
Drang nach Osten

「東方への衝動」という意味で,19世紀末頃から 20世紀前半に,おもにドイツ国粋主義者に使用されたドイツの東方進出をさすキャッチ・フレーズ。場合によって,ドイツ人による8世紀末頃から 14,15世紀までの東ヨーロッパ,バルカン地方への東方植民や,19世紀末頃から第1次世界大戦までのドイツの中近東に影響圏を拡大する政策 (バグダード鉄道など) や,A.ヒトラーが計画したポーランドウクライナでのドイツ人植民などをさす言葉として使用された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドラング・ナハ・オステン
どらんぐなはおすてん
Drang nach Ostenドイツ語

東方への衝動、欲求の意。東進政策と訳す。ドイツあるいはドイツ民族の、東・東南欧への拡大とそこでの支配圏確立を求める政策、思想、運動をさす。広くは、12世紀以来の東方植民、ドイツ騎士団による東方十字軍、18世紀のプロイセンのポーランド分割参加などの東進運動全般を含めるが、通常は、こうした歴史的動きを引き合いに出して正当化の根拠の一つとしつつ、東欧への進出を主張する19世紀以降の政策・運動をいう。ドイツ統一過程で現れる中欧思想もそうしたものの一つ。ドイツ帝国成立(1871)後、国内の東エルベ地方でのポーランド人抑圧策、バグダード鉄道建設などドイツ資本の東南欧進出とともに東進政策はドイツ帝国主義の主要目標とされ、全ドイツ連盟やオストマルク協会などの急進的国粋団体の宣伝もあって広く支配層に受け入れられ、第一次世界大戦中には戦争目的に掲げられた。1918年のブレスト・リトフスク条約はその結果である。このころには東進政策はゲルマン人対スラブ人の人種的対決としても説明されるようになった。第一次大戦後もドイツ経済は東南欧へと進出し、またロシア革命への反対から、東方への意欲は強い政治主張の潮流をなした。ヒトラーが『わが闘争』で、東欧での大規模な領土併合とスラブ人排除を骨子とする東方生存圏構想を打ち出し、第二次大戦でその実現をねらったのは、そうした潮流の頂点をなすものであった。[木村靖二]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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