ブレスト・リトフスク条約(読み)ぶれすとりとふすくじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ブレスト・リトフスク条約
ぶれすとりとふすくじょうやく

1918年3月3日ベロルシア(現ベラルーシ)のブレスト・リトフスクソビエト政府がドイツオーストリアハンガリー、トルコなど同盟国側と結んだ単独講和条約。

 ロシア革命後、ソビエト政府は、すべての交戦国に無併合、無償金、民族自決を原則とする講和を訴えた。しかし、協商国側はこれに応ぜず、ドイツ側だけが応じた。1917年12月22日に開始された交渉は、ドイツ側の過大な領土要求のために難航した。18年1月に、いったん首都へ戻った全権代表トロツキーは「戦争もしないが、講和も結ばない」という交渉引き伸ばし案を打ち出した。これに対し、ブハーリンらはドイツ革命を誘発させるための徹底抗戦を主張、レーニンはロシア革命の「息継ぎ」のために即時講和を主張した。1月21日のボリシェビキ党幹部会ではブハーリン派が多数であったが、24日の党中央委員会ではトロツキー案が通った。この引き伸ばしの間に、ブレスト・リトフスクでのドイツ側の態度を非難しソビエトを支持する気運が、東・中欧および西欧に広がったが、2月18日ドイツ側は対ソ攻撃を再開した。同日夕方のボリシェビキ党中央委員会では、トロツキーが意見を変えたためにレーニン案が勝利し、夜の人民委員会議で講和条件受諾が決定された。しかし、その間にドイツ側の講和条件はより過酷になっていた。3月3日に調印された講和は、3月6~8日のボリシェビキ党第7回大会で承認され、16日には第4回全ロシア・ソビエト大会で批准されたが、これはボリシェビキ党内の分裂のみならず、左派SR(エスエル)の離反をも招いた。講和により、ロシアはポーランド、バルト海沿岸、ベロルシアの一部、ザカフカスの一部を放棄し、ウクライナの独立を承認し、有力な穀倉地帯や工業中心地を失った。またこれにより、東・中欧の革命運動はロシアから分断された。しかし条約自体は、ドイツの敗戦後に破棄され、ベルサイユ条約によって失効が確認された。

[南塚信吾・羽場久浘子]

『E・H・カー著、宇高基輔訳『ボリシェヴィキ革命 1917―1923 第三巻』(1971・みすず書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ブレスト=リトフスク条約
ブレスト=リトフスクじょうやく
Treaties of Brest-Litovsk

1918年3月3日ソ連とドイツおよびその同盟国との間に結ばれた単独講和条約。十一月革命後ソビエト政権はドイツ側に休戦を呼びかけ,17年 12月3日からブレスト=リトフスク (現ブレスト) で交渉が始り,12月 15日暫定停戦協定が成立し,18年1月9日に交渉が再開された。しかしドイツ側の過大な要求のため会議は決裂し,2月 18日ドイツ=オーストリア軍は全面攻勢に出たので,V. I.レーニンは党内の強硬な反対論を押えて講和に踏切った。この結果ソビエト政権はバルト地方,白ロシア,ウクライナの大半を失うことになったが,第1次世界大戦がドイツ側の敗北によって終結するとともに本条約も破棄された。

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