日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナバラ王国」の意味・わかりやすい解説
ナバラ王国
なばらおうこく
Reino de Navarra スペイン語
ピレネー山脈の西部、これをまたぐ形で成立した中世イベリア半島の王国。フランス語名はナバルNavarre。首都はパンプロナ、住民はバスク(バスコ)人が主流を占める。領土はフランス側よりもスペイン側のほうが大きかった。
ナバラ王国の起源については不明な部分が多いが、イスラム教徒の征服がもたらした流動的な事態が起因したとみられる。すなわち、同地域の中で唯一の都市であったパンプロナをめぐって、イスラム教徒、フランク王国、先住民の三勢力が攻防を繰り返す過程で、10世紀初めに王国が誕生した。ナバラは、11世紀前半にはキリスト教スペイン諸国のなかで覇権を握ったが、同世紀後半以降は新興のカスティーリャとアラゴンの両王国に南進を阻まれて発展の道を失った。1234年から約200年間、フランスの政治圏に大きく傾いたが、15世紀後半にはふたたびスペイン側との結び付きを強めた。その後、再びフランス寄りを強めるナバラを自国の安全保障上の理由からアラゴン王フェルナンド2世(カスティーリャ王としてはフェルナンド5世)は外交と軍事の両面からナバラの併合を企て、1512年にこれを軍事征服した。そして3年後にナバラはそれまでの法と体制を維持したままカスティーリャ王権下に編入された。
[小林一宏]