ニカイア帝国(読み)ニカイアていこく(英語表記)Nikaia; Nicaea

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ニカイア帝国
ニカイアていこく
Nikaia; Nicaea

第4次十字軍によるビザンチン帝国の首都コンスタンチノープル占領後,ラスカリス家のテオドルス(→テオドルス1世)により小アジアのニカイアに樹立された独立帝国(1204~61)。ヨハネス3世テオドルス2世ヨハネス4世ミカエル8世の諸帝を輩出。国境防衛の強化,プロノイア制度の活用,農業,牧畜,貿易の振興など充実した内政を実施。 1211年に東のルーム王国軍をアンチオキアに破り,1214年に西のラテン帝国と和平条約を結び,1219年にはベネチアとも友好条約を締結,小アジアにおける地位を確保した。ヨハネス3世のもとで第2ブルガリア帝国,エーゲ海の重要な島々,テッサロニカを再び帝国領とした。一方シチリアのマンフレート王,アカイア公国のビルアルドアン王,セルビア王ステファン・ウロシュ1世,ラテン帝国ボードアン2世,エピルス王国のミカエル2世が反ニカイア同盟を結成,小アジアのペラゴニアで対戦,1259年ニカイア軍はこれを破り,首都奪回の最大の難関を突破した。1261年8月15日,弱体化したラテン帝国のすきを突き,首都奪回を果たしたミカエル8世は小アジアのニカイアから居を移し,新生パレオロゴス朝を開き,ニカイア帝国を発展的に解消させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ニカイア帝国
にかいあていこく

第4回十字軍によるコンスタンティノープル占領後、1204年に小アジアのニカイアNicaeaに樹立されたビザンティン帝国の亡命政権。テオドロス1世(在位1204~22)、ヨハネス3世(在位1222~54)、テオドロス2世(在位1254~58)、ヨハネス4世(在位1258~61)およびミハイル8世(在位1259~82)の諸皇帝により、政権の確立、維持、拡張が行われた。ミハイル8世治下にビザンティン帝国を再興し、パレオロゴス朝を開く礎(いしずえ)を築くに至った。国内的には農業と産業を奨励し、国力の回復を図った。対外的にはスルタン・ルム王国軍を破り(1211)、ラテン帝国と和平条約を締結した(1214)。さらに西ヨーロッパの反ビザンティン連合軍をペラゴニアの戦い(1259)で破り、その存在を不動のものにした。文化的にもニカイアは古代のアテネに比せられるほど学芸が栄え、数多くの文人や学者を輩出した。[和田 廣]

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