ドイツの古代史家、政治家。コペンハーゲンに生まれ、キール大学に学ぶ。初めデンマークの大蔵省に仕えたが、1806年シュタインの招きでプロイセン政府に移り、財政改革に指導的役割を果たした。1810年、改革の停滞に不満を抱いて辞任。新設のベルリン大学で古代史の講義を担当、名声を博す一方、『ローマ史』(2巻。第3巻は死後に公刊)を著した。対ナポレオンの解放戦争中は、日刊新聞『プロイセン通信』を発行し、国民に政治、軍事情勢をできるだけ早く、かつ具体的に伝えようと努力した。またプロイセン政府の委託を受け、イギリス政府との通商条約交渉にあたり、1816~1823年にはプロイセンの使節としてバチカンに赴き、ケルン大司教区再建交渉を成立させた。1824年以降、ボン大学教授に就任、古代史の講義と研究を続けた。
ニーブールは古代史家として、初めて正確な史実に基づく批判的な方法を樹立した。しかし彼の功績は、古い伝承や史料を批判的に扱うにとどまらず、自らの政治家としての体験を踏まえ、またドイツやイタリアの史実からの類推の方法も用いて、古代の事件や人物をあたかも現在のそれのように生き生きと描写したことにある。彼のローマ史の業績は、のちにモムゼンらによって追い越されたとはいえ、近代歴史学の建設者として、ランケやジーベルら後世の歴史家に与えた影響は大きい。
[木谷 勤]
『G・P・グーチ著、林健太郎・林孝子訳『十九世紀の歴史と歴史家たち 上』(1971・筑摩書房)』
ドイツの歴史家,政治家。1800年からデンマークの公務,1806-10年および13-23年プロイセンの公務に服し,主として財政を担当し,また教皇庁駐在のプロイセン使節(1816-23)であった。その間10-12年,新設のベルリン大学でローマ史を講じ,23年からはボン大学で教えた。ニーブールの史学史上の意義は史料批判的方法の確立にあり,ランケに強い影響を与えた。主著は《ローマ史》3巻。
執筆者:岸田 達也
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1776~1831
ドイツの古代史家。ローマ史を覆う神話,伝承を徹底的に批判し,近代の批判的歴史学の起点をなした。主著『ローマ史』全3巻(1811~32年)。
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