ニーブール(読み)にーぶーる(その他表記)Barthold Georg Niebuhr

デジタル大辞泉 「ニーブール」の意味・読み・例文・類語

ニーブール(Barthold Georg Niebuhr)

[1776~1831]ドイツ歴史家政治家プロイセン解放運動を擁護史実に基づく批判方法による近代史学を樹立。著「ローマ史」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ニーブール」の意味・読み・例文・類語

ニーブール

  1. ( Barthold Georg Niebuhr バルトールト=ゲオルク━ ) ドイツの歴史家。ベルリン大学教授。古代史研究に資料批判的方法を確立し、近代歴史学基礎を築いた。主著「ローマ史」。(一七七六‐一八三一

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニーブール」の意味・わかりやすい解説

ニーブール
にーぶーる
Barthold Georg Niebuhr
(1776―1831)

ドイツの古代史家、政治家。コペンハーゲンに生まれ、キール大学に学ぶ。初めデンマークの大蔵省に仕えたが、1806年シュタインの招きでプロイセン政府に移り、財政改革に指導的役割を果たした。1810年、改革の停滞に不満を抱いて辞任。新設のベルリン大学で古代史の講義を担当、名声を博す一方、『ローマ史』(2巻。第3巻は死後に公刊)を著した。対ナポレオンの解放戦争中は、日刊新聞『プロイセン通信』を発行し、国民に政治、軍事情勢をできるだけ早く、かつ具体的に伝えようと努力した。またプロイセン政府の委託を受け、イギリス政府との通商条約交渉にあたり、1816~1823年にはプロイセンの使節としてバチカンに赴き、ケルン大司教区再建交渉を成立させた。1824年以降、ボン大学教授に就任、古代史の講義と研究を続けた。

 ニーブールは古代史家として、初めて正確な史実に基づく批判的な方法を樹立した。しかし彼の功績は、古い伝承史料を批判的に扱うにとどまらず、自らの政治家としての体験を踏まえ、またドイツやイタリアの史実からの類推の方法も用いて、古代の事件や人物をあたかも現在のそれのように生き生きと描写したことにある。彼のローマ史の業績は、のちにモムゼンらによって追い越されたとはいえ、近代歴史学の建設者として、ランケやジーベルら後世の歴史家に与えた影響は大きい。

[木谷 勤]

『G・P・グーチ著、林健太郎・林孝子訳『十九世紀の歴史と歴史家たち 上』(1971・筑摩書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ニーブール」の意味・わかりやすい解説

ニーブール
Barthold Georg Niebuhr
生没年:1776-1831

ドイツの歴史家,政治家。1800年からデンマークの公務,1806-10年および13-23年プロイセンの公務に服し,主として財政を担当し,また教皇庁駐在のプロイセン使節(1816-23)であった。その間10-12年,新設のベルリン大学でローマ史を講じ,23年からはボン大学で教えた。ニーブールの史学史上の意義は史料批判的方法の確立にあり,ランケに強い影響を与えた。主著は《ローマ史》3巻。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニーブール」の意味・わかりやすい解説

ニーブール
Niebuhr, Barthold Georg

[生]1776.8.27. コペンハーゲン
[没]1831.1.2. ボン
ドイツの歴史家。ホルシュタインの出身。父は旅行家 C.ニーブール。キール大学で法学を修め,初めデンマークの財務官僚,1806年秋,K.シュタインの招きでプロシアの官界に入り,銀行行政の改革にあたったが,若い頃からいだいていた古典古代文化への情熱のため,C.ハルデンベルクから提供された蔵相のポストを断って新設のベルリン大学教授となり,ローマ史を講じた。史料の批判的研究に立脚する主著『ローマ史』 Römische Geschichte (3巻,1811,12,32) は,若き L.ランケに決定的な影響を与えた。

ニーブール
Niebuhr, Carsten

[生]1733.3.17. ハノーバー
[没]1815.4.26. ホルシュタイン,メルドルフ
ドイツの旅行家。アラビアへの第1次科学的探検隊中唯一の生存者。測量術を学び,デンマークのフレデリク5世によるエジプト,アラビア,シリアの科学的探検隊に参加 (1760) 。インド滞在後,ペルシア,メソポタミア,キプロス,小アジア,イスタンブールを経て,コペンハーゲンに戻った (68) 。アラビア研究の資料を多数残した。主著『アラビア記』 Beschreibung von Arabien (72) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ニーブール」の解説

ニーブール
Barthold Georg Niebuhr

1776〜1831
ドイツの古代史家・政治家
ベルリン大学・ボン大学でローマ史を講義。主著『ローマ史』全3巻(1811〜32)などでランケに影響を与え,近代的な批判的歴史学の基礎をつくった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ニーブール」の解説

ニーブール
Barthold Georg Niebuhr

1776~1831

ドイツの古代史家。ローマ史を覆う神話,伝承を徹底的に批判し,近代の批判的歴史学の起点をなした。主著『ローマ史』全3巻(1811~32年)。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「ニーブール」の意味・わかりやすい解説

ニーブール

ドイツの古代史家。ベルリン大学教授。ローマ史にみられる神話・伝承の批判により,近代の批判的歴史学の基礎を築いた。主著《ローマ史》。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android