ノ・テウ(読み)盧 泰愚(その他表記)Roh Tae-woo

現代外国人名録2016 「ノ・テウ」の解説

ノ・テウ
盧 泰愚
Roh Tae-woo

職業・肩書
政治家,軍人 元韓国大統領

国籍
韓国

生年月日
1932年12月4日

出生地
朝鮮・慶尚北道達城(韓国)

別名
雅号=庸堂

学歴
韓国陸士(第11期)〔1955年〕卒,米国特殊戦学校〔1959年〕修了

勲章褒章
保国勲章国仙章, 乙支武功勲章, 無窮花大勲章

経歴
1968年韓国陸軍首都師団大隊長官、’74年空輸特戦旅団長、’79年師団長、首都公安司令部長官。同年12月全斗煥少将主導の“粛軍クーデター”に師団長として参加。’80年国軍保安司令官。’81年陸軍大将で予備役編入、7月政務第2長官。’82年3月体育相、同年4月〜’83年7月内相。’83〜85年ソウル五輪組織委委員長。’84年10月大韓体育会会長兼大韓五輪委委員長。’85年国会議員、与党民主正義党代表委員、’87年5月同党総裁。同年12月の大統領選(直接選挙)で当選。’88年2月第13代大統領に就任。同年9月ソウル五輪開会宣言。10月韓国大統領として初の国連演説をする。’90年2月与党三党が合併して発足した新与党・民主自由党(民自党)の最高委員となり、同年5月同党総裁。同月国賓として来日。同年6月ゴルバチョフ・ソ連大統領と会談、韓ソ国交樹立で合意し、12月訪ソ。’92年3月の総選挙では民自党は大敗し、8月名誉総裁に退く。同年9月初訪中。’93年2月任期満了で大統領退任。’95年11月大統領在任中に総額2000億ウォンを超える巨額の収賄をしていた疑いで逮捕、12月起訴された。さらに’79年12月の“粛軍クーデター”から’80年5月の“光州事件”に至る一連の責任者として’96年1月内乱罪などで追起訴。8月粛軍クーデターは軍反乱、光州事件は内乱と認定され、軍反乱罪、内乱罪などに対して懲役22年6ケ月、収賄事件に関しては追徴金2838億ウォンの有罪判決が下された。12月の控訴審では懲役17年に減刑。’97年4月韓国大法院は上告棄却、内乱罪に対しては懲役17年、収賄罪に対しては追徴金2629億ウォンが確定した。同年12月特別赦免により釈放される。文学・音楽に親しみ、英語・日本語に堪能。著書に「偉大なる普通の人々の時代」がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノ・テウ」の意味・わかりやすい解説

ノ・テウ(盧泰愚)
ノ・テウ
Roh Tae-woo

[生]1932.12.4. 慶尚北道,大邱
[没]2021.10.26. ソウル
大韓民国 (韓国) の政治家。 1955年陸軍士官学校卒業 (11期生) 。猛虎師団の大隊長としてベトナム従軍チョン・ドファン (全斗煥)政権下では,首都警備司令官,国軍保安司令官を経て,1981年陸軍大将で退役。同年政務第2長官として入閣。1982年初代体育大臣,1982~83年内務大臣,1985~86年ソウル・オリンピック組織委員長を歴任。民主正義党代表委員を経て,1987年同党総裁に就任。同年6月大統領直接選挙制を要求した市民・学生デモにこたえて直接選挙制を導入。同年 12月,16年ぶりの大統領直接選挙で第 13代大統領に当選。大統領任期中には相次ぐ政治的民主化措置の導入や朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) との和解路線の推進など,全斗煥政権下の硬直した路線から一転して柔軟路線を採用した。また 1990年6月にはソ連との国交樹立を宣言し,いわゆる北方外交を展開,さらに 1992年には中国との間で外交関係を樹立するなど,冷戦体制の終焉に即応する積極外交を推進した。1993年任期満了。1995年任期中の収賄容疑で逮捕された。

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百科事典マイペディア 「ノ・テウ」の意味・わかりやすい解説

ノテウ

盧泰愚

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