11世紀にフランスのノルマンディー地方で確立され,ノルマン人のイングランド征服(ノルマン・コンクエスト)以後はノルマン朝イングランド全体に統一的にみられたロマネスク美術の一様式。カロリング朝のキリスト教的伝統とノルマンの北方的伝統とを源とする同様式は,ノルマンディー公国の国家建設とベネディクト会修道院改革運動を背景に,教会堂建築に最も典型的に表れている。ノルマンディーに豊富に産出する良質の截石の組積みによって,厳格純粋な線と壮大かつ律動的な空間が生み出された。アーケード,広い階上間(トリビューン),歩廊の貫通する高窓からなる立面3層構成の開口部と中央採光塔から,堂内に豊かな光を採り入れている。厳しい論理的構成の追求は,他のロマネスク様式に特有の身廊部の石組ボールト架構と饒舌な図像彫刻装飾を避け,伝統的な木骨天井を採用し,建築構造を乱さないよう主に幾何学文様を限られた部位に施した。この様式は11世紀半ばころウィリアム1世の故郷カンのラ・トリニテ教会とサンテティエンヌ教会で完成され,ノルマンディー一帯と征服後のイングランド(ウィンチェスター大聖堂ほか)に伝播した。しかしイングランドでは,身廊を延長し塔を増し(グロスター大聖堂ほか),また図像彫刻を施し(イーリー大聖堂ほか),いっそうの壮大さと装飾的豊かさへと向かった。後にノルマン様式は,ダラム大聖堂で始まった交差リブ・ボールトの手法とともに,フランス王領でのゴシック建築の創造に寄与した。一方,ノルマン人とともに南下した同様式は,両シチリア王国で地中海,ビザンティン,イスラムの美術の伝統と混交し,独自の複合様式を形成した(アマルフィ大聖堂,モンレアーレ大聖堂ほか)。
執筆者:岸本 雅美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…窓が少なく,外壁に細い筋のような壁柱を用いただけの素朴な〈アングロ・サクソン様式〉は6~11世紀に行われたが,その後1066年のノルマンディー公ウィリアムによるイングランド征服がイギリス建築に新時代を導入した。すなわち,半円アーチや厚い壁を特色とする重厚な〈ノルマン様式〉が確立され,11世紀末から12世紀中ごろにかけて主流となった。ただしこれは,実際には,フランスのロマネスク様式を移入したものであった。…
…【小野 有五】
[美術]
カンはノルマン公国諸公のもとで,とりわけ11世紀,ウィリアム1世(征服王)の時代に発展をみた。征服王の創建になる男子修道院付属サンテティエンヌ教会(1077)と,それと対をなす王妃マティルダの創建になる女子修道院付属ラ・トリニテ教会(1066)は,共にカン産出の豊富な石材を使用したノルマン様式ロマネスク建築の代表例。幸い第2次大戦末期の大爆撃の破壊を免れた。…
※「ノルマン様式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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