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ハーディ Hardee, William Joseph

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハーディ
Hardee, William Joseph

[生]1815.10.12. ジョージア,サバンナ付近
[没]1873.11.6. バージニア,ワイスビル
アメリカの軍人。 1838年に陸軍士官学校を卒業し,56~60年士官学校の士官候補生指揮官。南北戦争の際は南軍の司令官として活躍。 61年南部連合軍少将。主著『ライフル銃と軽装歩兵戦術』 Rifle and Light Infantry Tactics (1855) は「ハーディ戦術」と呼ばれ歩兵操典として南北両軍で用いられた。戦後はアラバマ州でプランテーションを経営。

ハーディ
Hardie, James Keir

[生]1856.8.15. ラナーク,レッグブラノック
[没]1915.9.26. グラスゴー
イギリス労働党の指導者。 10歳のときから炭坑で働いた。早くから労働組合活動に従事,1887年月刊紙『マイナー』 The Minerを創刊し,労働者の組織化に力を注いだ。 1880年代の炭坑不況のなかで次第に社会主義に傾き,88年自由党から離れてスコットランド労働党を創立。 92年の総選挙下院に進出,93年独立労働党を創立,党首となった。 95年の総選挙で落選,以後5年間は『マイナー』の後身である『レイバーリーダー』紙の編集と労働代表委員会の設立に努力した。 1900年の総選挙で下院に復帰,06年労働党党首となった。第1次世界大戦の危機が迫ると,ゼネストによる戦争阻止を提唱したが,労働党員の多数が戦争支持の決議にまわったため,失意のうちに世を去った。

ハーディ
Hardy, Oliver

[生]1892.1.18. アトランタ
[没]1957.8.7. ハリウッド
アメリカの喜劇映画俳優。 S.ローレルと組んだどたばた喜劇が人気を呼んだ。日本では「極楽シリーズ」として多くの作品が公開された。太った大男の気難し屋の役柄

ハーディ
Hardy, Thomas

[生]1752
[没]1832
イギリスの急進的政治家。 1792年議会改革運動を推進するために,イギリス最初の労働者の政治組織といわれる「ロンドン通信協会」を創立。 J.セルウォール,H.トゥックらとともに大反逆罪に問われたが,T.アースキンによって弁護され無罪となった (1794) 。しかし,議会改革は挫折した。

ハーディ
Hardy, Thomas

[生]1840.6.2. ドーセットシャー,アッパーボッカンプトン
[没]1928.1.11. ドーセットシャー,ドーチェスター
イギリスの小説家,詩人。石工の家に生れ,土地の学校を終えてから建築家を志してロンドンに出たが,やがて文学に転じた。処女作『非常手段』 Desperate Remedies (1871) は匿名で出版されたが,『緑の木陰』 Under the Greenwood Tree (72) ,『遙か狂乱の群をはなれて』 Far from the Madding Crowd (74) が発表されるに及んで「ウェセックス (ドーセットシャー地方の古名) もの」の名が高まった。代表作は『帰郷』 The Return of the Native (78) ,『ダーバービル家のテス』 Tess of the D'Urbervilles (91) ,『日陰者ジュード』 Jude the Obscure (95) 。ほかに短編集『人生の小さな皮肉』 Life's Little Ironies (94) ,『ウェセックス詩集』 Wessex Poems (98) ,『新旧抒情詩集』 Late Lyrics and Earlier (1922) などがある。宇宙は理性を欠いた「内在意志」 Immanent Willによって支配されているという悲観論に立ち,あくまでも人間の真実を描き出そうとしたため,当時の社会から非難を受けたが,19世紀末の偉大な小説家と認められる。老いても創作力は衰えず,ナポレオン戦争を題材にした長編叙事詩劇『覇王』 The Dynasts (03~08) によって文壇に大きな刺激を与えた。

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デジタル大辞泉の解説

ハーディ(Thomas Hardy)

[1840~1928]英国の小説家・詩人。故郷ウェセックス地方を背景に、運命に押し流される人間の姿を写実的に描いた。小説「テス」、叙事詩劇「覇王」など。

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百科事典マイペディアの解説

ハーディ

英国の政治家。幼時から炭鉱で働き,坑夫の労働運動を組織。1892年最初の労働者出身の下院議員となり,独立労働党を創立。労働党の結成に貢献してその院内総務となり,第1次大戦の勃発(ぼっぱつ)に際しては反戦ゼネストを計画したが,労働党の多数は戦争を支持したため,失意のうちに死去。
→関連項目独立労働党

ハーディ

英国の小説家,詩人。英国南西部の酪農地帯ドーセット州ドーチェスター近郊の小村に石工の子として生まれる。初め建築の仕事についたが,文学にも志し,1874年の小説《狂乱の群集を離れて》(1874年)などで名声を得る。
→関連項目写実主義ポランスキー

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世界大百科事典 第2版の解説

ハーディ【Godfrey Harold Hardy】

1877‐1947
イギリスの数学者。サリー州,クランリーに生まれ,ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業後特別研究生を経て1906年同校講師となる。19年オックスフォード大学に移り,幾何学教授の席につくが,31年にケンブリッジ大学に戻り,42年に引退するまで教授の地位にあった。この間1910年ローヤル・ソサエティ会員に選ばれ,20年にはローヤル・メダル,40年にはシルベスター賞を受賞,死の年には最高の名誉であるコプリー賞を受けた。

ハーディ【James Keir Hardie】

1856‐1915
イギリスの政治家。通称ケア・ハーディ。農場の召使メアリー・ケイの庶子。母親の結婚によりハーディ姓を名のる。10歳から炭坑で働き,成人してキリスト教に帰依し,組合活動に従い,スコットランド労働党を結成。1892年最初の独立の労働代表として議会に選ばれ,翌年の独立労働党,1900年の労働代表委員会設立に指導的役割を果たす。06年初代労働党党首となり,第二インターナショナルで戦争防止のためゼネストを主張した。

ハーディ【Thomas Hardy】

1840‐1928
イギリスの小説家,詩人。イングランド南西部,通常ウェセックス地方と呼ばれるドーセット州ドーチェスター市の近くで生まれた。父は建築家,母は文学の素養のある婦人だった。若いころは父の職業を継ぐべく建築の勉強にはげみ,1862年ロンドンに出て,建築懸賞論文で賞を得るなど,その才能をあらわした。しかしロンドンの生活を嫌ったために,建築界での出世をあきらめて故郷に帰り,文学を一生の仕事にしようと決意した。68年匿名で《貧民貴婦人》という長編小説を書き,ロンドンの出版社に送ったところ,当時文壇で重きをなしていたG.メレディスの目にとまった。

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世界大百科事典内のハーディの言及

【遺伝学】より

…遺伝子の自然および人為突然変異の研究はこの問題に大きな手がかりを与え,遺伝学が進化機構の解明に深くかかわることとなった。すでに1908年にハーディG.H.HardyとワインベルクW.Weinbergは安定した任意交配集団における遺伝子頻度と遺伝子型頻度の関係について,〈ハーディ=ワインベルクの法則〉とよばれる法則を発見していたが,30年代に入り統計学の進歩と相まって,淘汰・突然変異・繁殖様式・集団構造などを考慮に入れて集団の遺伝的構成の経時的変動を研究する集団遺伝学の基礎がR.A.フィッシャー,J.B.S.ホールデーン,ライトS.Wrightなどによって築かれた。最近は遺伝子やその支配形質の違いを分子レベル,すなわちDNAの塩基配列やタンパク質の一次構造の差異としてとらえ,その集団における挙動が盛んに研究されている。…

【遺伝学】より

…遺伝子の自然および人為突然変異の研究はこの問題に大きな手がかりを与え,遺伝学が進化機構の解明に深くかかわることとなった。すでに1908年にハーディG.H.HardyとワインベルクW.Weinbergは安定した任意交配集団における遺伝子頻度と遺伝子型頻度の関係について,〈ハーディ=ワインベルクの法則〉とよばれる法則を発見していたが,30年代に入り統計学の進歩と相まって,淘汰・突然変異・繁殖様式・集団構造などを考慮に入れて集団の遺伝的構成の経時的変動を研究する集団遺伝学の基礎がR.A.フィッシャー,J.B.S.ホールデーン,ライトS.Wrightなどによって築かれた。最近は遺伝子やその支配形質の違いを分子レベル,すなわちDNAの塩基配列やタンパク質の一次構造の差異としてとらえ,その集団における挙動が盛んに研究されている。…

【社会主義】より

…しかし,いずれも大衆的な支持を受けなかった。一方,J.K.ハーディが独立労働党を結成して労働組合との提携をはかり,1900年,労働組合と社会主義団体の連合体として労働代表委員会が創設された。これは労働者階級の代表者を議会に送るための組織であったが,1906年には名称を改めて労働党となった。…

【独立労働党】より

…不熟練労働者の組合活動に触発され,労働教会など地方の社会主義運動を結集し,1893年ブラッドフォードで結成された。ケア・ハーディらの指導下に労働組合と社会主義伝道とを結ぶ改良主義的議会政党たらんとしたが,激しい資本家攻勢のもと,より大きく組合に依存する別個の労働党を発足させた。労働党内において,第1次大戦中反戦の立場を貫き,反戦自由主義者の労働党参加への道を開いた。…

【テス】より

…イギリスの作家T.ハーディの小説。1891年出版。…

【ドーチェスター】より

…1086年の《ドゥームズデー・ブック》によれば王立都市とされるものの,中世以降は農村中心の地位にとどまった。この近くで生まれ,〈ウェセックス小説〉の中でこの地をキャスターブリッジと呼んだT.ハーディの銅像や記念博物館が市内にある。【長谷川 孝治】。…

※「ハーディ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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