ジョージア(読み)じょーじあ(英語表記)Georgia

翻訳|Georgia

共同通信ニュース用語解説 「ジョージア」の解説

ジョージア

ロシアの南、黒海の東側に位置し、人口は約373万人。面積は6万9700平方キロで日本の約5分の1。多数がキリスト教東方正教会の一派ジョージア正教を信仰する。国土の2割近くを占め、1990年代前半に一方的に独立を宣言した親ロシアの南オセチアとアブハジア自治共和国には実効支配が及んでいない。日本政府は2015年、国名呼称をロシア語読みの「グルジア」から英語読みの「ジョージア」に変えた。(共同)

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

精選版 日本国語大辞典 「ジョージア」の意味・読み・例文・類語

ジョージア

  1. ( Georgia ) アメリカ合衆国南東部、アパラチア山脈の南東端にあり、大西洋に面する州。州都アトランタ。建国一三州の一つで、南北戦争のときには南部連合に参加し、連邦から離脱した。かつては綿花の大生産地であったが現在はタバコ、ピーナッツ、木材を主産物とする。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジョージア」の意味・わかりやすい解説

ジョージア(旧グルジア)
じょーじあ
Georgia 英語
Sakartvelo ジョージア語
Грузия/Gruziya ロシア語

西南アジア、黒海に面する共和制国家。かつてはソビエト連邦(ソ連)の構成共和国であったが、1991年4月9日ソ連からの独立を宣言した。面積6万9700平方キロメートル、人口439万8000(2006年推計)、430万(2014年国連人口基金)。首都トビリシ。国内にアブハジア、アジャーリアの2自治共和国と南オセチア自治州(1991年12月のソ連崩壊後、ジョージア政府は自治権を認めていない)がある。国内に50余の都市があり、山岳国のため都市人口の比率が6割近くを占める。

 昔はカルトリア人、カヘチア人などいくつかの人種学上の集団に分かれていたが、今日その差異はほとんどなくなっている。ジョージア人のほかにオセット人(オセチア人)、アブハズ人、アルメニア人、ロシア人、クルド人などが住む。

[木村英亮]

 日本政府は国名の呼称を「グルジア」としていたが、2015年(平成27)4月から「ジョージア」に変更した。

[編集部]

自然

国土は、大カフカス山脈の分水嶺(ぶんすいれい)から南麓(なんろく)の広い高原、黒海の東岸からカスピ海西岸に続く構造低地、その南の小カフカス山脈の火山性の山地を含み、きわめて複雑である。最高点は大カフカス山脈分水嶺のシハラ山(5068メートル)で、ほかに名峰カズベク山(5033メートル)も5000メートルを超す高峰である。低地は、黒海に流入するリオニ川流域のコルヒダ低地、カスピ海に向かって東流するクラ川上流の丘陵(首都トビリシがある)、面積は小さいが保養地が並ぶ黒海北東岸の沿岸平野などである。気候はきわめて多様で、低地は暖帯が広い面積を占め、低地部の平均気温は1月が零下2~3℃、8月が23~26℃であるが、年降水量は黒海沿岸低地で2800ミリメートル(山腹で4000ミリメートルに達する)なのに対し、カスピ海に近い低地ではわずか300ミリメートル(山地でも800ミリメートル)に激減する。丘陵地帯に位置するトビリシの年平均気温は13.0℃、1月は1.6℃、7月は24.4℃で、年降水量は495.8ミリメートルである。国土のなかば近くを森林が占め、低山帯のシデ、カシワ、ブナなどから、高地のマツ、モミ、亜高山帯の草原、氷河のある高山の裸地まで、植生も多様である。自然保護区は15地区が設けられている。

[渡辺一夫・木村英亮]

歴史

ジョージアは古くは奴隷制国家で、紀元前6世紀のコルヒダ、前4~後3世紀のイベリアは奴隷制の国であった。4世紀後半東ジョージアのカルトリで、6世紀西ジョージアのラジカでキリスト教が国教となった。6世紀初めから10世紀にかけて、この地域はササン朝ペルシア、ビザンティン、アラブに征服された。この時期にジョージア民族体の基礎がつくられた。8世紀末から9世紀初めにかけてカヘチ、タオ・クラルジェチ、アブハジアなどの公国が生まれ、11~12世紀にはダビデ4世、タマラ女帝が現れ、封建制ジョージアは最盛期を迎えた。13~14世紀、モンゴル、ティームールに支配されたが、15~17世紀にはカルトリ、カヘチ、イメレチア、サムツヘ・サアタバゴ、メグレリア、グリア、アブハジアなどの王国・公国が盛衰した。16~18世紀はイランとトルコとの争奪地であったが、1801年東ジョージアが、1803~1810年西ジョージアがロシアに併合された。

 1864年農奴解放が行われ、工業も発展し始めた。1890年代には社会民主党が組織され、急速に勢力を広げた。その指導者のなかには、ロシア革命期に活躍するニコライ・チヘイゼNikolay Chkheidze(1864―1926)、ノイ・ジョルダニアNoi N.Zhordaniya(1870―1953)らが含まれており、スターリンも1898年この組織に加わった。1917年帝政崩壊後メンシェビキが支持を集め、十月革命後アゼルバイジャンのムサバチスト、アルメニアのダシナキとともにザカフカス委員部を組織して指導権を握り、ソビエト・ロシアとトルコに対抗しようとし、1918年4月にはザカフカス共和国を発足させたが、内部対立のため1か月で解体した。ジョージアではこの後2年半にわたってノイ・ジョルダニアのメンシェビキ政権が支配することになる。この政府は、1920年、クリミアを占領していた白軍ウラーンゲリ軍と穀物取引交渉を進めたり、南オセチア政府を弾圧したりしてソビエト・ロシアとの対立を深めたが、ザカフカジェからのイギリス軍など干渉軍の撤退、アゼルバイジャン、アルメニアにおけるソビエト政権の成立によって孤立し、1921年二月蜂起(ほうき)に呼応した赤軍の進入によってソビエト政権が勝利した。成立したジョージア共和国は1922年ザカフカス共和国の一部となってソビエト連邦に加わることになるが、このときジョージア共産党にスターリンらの強引なやり方に反対する動きがあったことはよく知られている。1936年、直接ソ連を構成するジョージア・ソビエト社会主義共和国となる。

 1989年3月にアブハジア自治共和国でジョージアからの分離を求める集会が開かれたのに触発され、トビリシのジョージア人の間でも民族主義的な動きが起こった。これ以降ソ連からの分離独立を求める集会などがもたれたが、1989年4月9日ソ連の正規軍と内務省治安軍が出動して弾圧し、多数の死傷者が出た。1990年秋に行われた初めての複数政党選挙でズビアド・ガムサフルディアZviad Gamsakhurdia(1939―1993)の自由ジョージア円卓会議が圧勝した。1991年3月の国民投票で独立が支持され、4月9日に独立を宣言、国名をジョージア共和国とした。5月26日に行われた大統領の選挙ではガムサフルディアが86.5%を得た。ジョージアにソビエト政権が成立したのは1921年2月であるが、ガムサフルディアは、その直後の5月にレーニンに中央集権化政策批判の公開状を発表した作家コンスタンチネ・ガムサフルディアKonstantine Gamsakhurdia(1893―1975)の息子である。

 しかし野党は、共和国防衛隊司令官を中心に、ちょうどソ連解体のころの1991年12月22日に政府庁舎を攻撃し、1992年1月2日軍事評議会樹立を発表、ガムサフルディアは同月6日に国外に脱出した。同年3月10日に元ソ連外相のシェワルナゼが軍事評議会を改称した国家評議会の議長に就任し、10月11日に最高会議議長に選出された。その後、1995年8月新憲法が採択され、そこで復活した大統領選挙が11月5日に行われシェワルナゼが選出された。新憲法の制定とともに正式国名から「共和国」をとった。シェワルナゼは、2000年4月の大統領選挙で再選を果たしている。しかし、2003年11月議会選挙の結果から政局が混乱、シェワルナゼは大統領を辞任した。2004年1月大統領選挙が行われ、野党の統一候補ミハイル・サアカシビリMikhail Saakashvili(1967― )が当選、就任し、2008年再選された。2013年10月の大統領選では与党連合の候補ギオルギ・マルグベラシビリGiorgi Margvelashvili(1969― )が当選し、同年11月に就任した。

 大統領は国民の直接選挙で選ばれ任期は5年。議会は一院制で議員定数は150、直接選挙で選ばれ任期は4年である。

 ジョージアは国内の混乱から、独立国家共同体(CIS)への加盟が遅れたが、1993年10月22日にようやく加盟し、ロシアとの関係を外交の基本とするという方針に沿って1994年2月ロシアと友好善隣協力条約に、1995年10月ロシア軍基地条約に署名した。1994年3月には北大西洋条約機構(NATO)と「平和のためのパートナーシップ」(PfP)協定枠組み文書に調印した。サアカシビリ大統領就任以降、アブハジア、南オセチア問題に介入するロシアとの関係が悪化、2009年にCISを脱退した。

 総兵力数(2014)は2万0650(陸軍1万7750、空軍1300、国家警備隊1600)。

[木村英亮]

民族問題――アブハジア紛争と南オセチア紛争

北西部のアブハジア自治共和国はジョージア人45.7%、イスラムのアブハズ人17.8%であった。1989年7月アブハジアのスフーミで両民族の衝突事件発生後紛争が続き、アブハジアは1992年7月に主権を宣言した。ジョージア政府はただちにその無効を表明して8月にスフーミに軍を送ったが、アブハジア側はこれに抵抗し、その多くが難民となった。1994年ジョージアはロシアと友好善隣協力条約を結び、アブハジアの法的地位を認め、ロシアは3000人の平和維持軍を派遣した(アブハジア紛争)。

 オセット人はイラン系で、ジョージア内の南オセチアと、隣接するロシア内の北オセチア共和国に多い。この南オセチアではジョージアから分離し、ロシアへ帰属することを要求する運動が高まり、1990年12月に州都ツヒンバリ周辺で武力衝突が起こった。1992年1月19日に行われた南オセチア自治州の州民投票でロシアへの帰属替えが圧倒的な支持を得た。その後ロシアの北オセチア共和国への住民の避難など混乱が始まったが、同年6月にシェワルナゼとロシア大統領エリツィンとの間で紛争解決への合意が成立し、7月にロシア、ジョージア、南オセチアの平和維持部隊が展開した(南オセチア紛争)。

 2008年8月、南オセチアにジョージア軍が進攻し南オセチア軍と戦闘に入った。そこにロシアが軍事介入し、南オセチア以外のジョージア領にも戦闘が拡大した。その後停戦合意がなされたが、ロシアはアブハジア、南オセチアを共和国として独立を承認。ジョージアは反発して独立国家共同体(CIS)の脱退を通告、2009年8月には正式にCISから脱退した。

[木村英亮]

産業・経済

農業部門が優勢で、工業も農産物加工部門が多いが、いくつかの大都市では重工業も発達してきた。電力生産では、山がちな国土を反映して水力発電が多いが、火力発電はクタイシ北東方のツキブリなどに産する石炭のほか、パイプラインによって移入した石油や天然ガスにも依存する。チアツラに産するマンガンはソ連の全生産量の約20%を占めていた。重工業は、ルスタビの製鋼、トビリシの電気機関車、工作機、食品加工機械、農業用機械、電気機器、クタイシの貨物自動車、ポンプ、バトゥーミの石油化学製品、食品加工機械などが知られる。軽工業は地方都市にも分散し、絹・毛・綿加工、たばこ、紅茶、ワイン、ブランデー、ミネラルウォーター(とくにボルジョミ)などがあり、食品加工部門が盛んである。

 農業部門では、黒海沿岸部に産する柑橘(かんきつ)類、茶、桐(きり)の実(桐油(とうゆ)を採取)などが知られ、コルヒダ低地に続く中央部の丘陵では、ブドウ、果実類、野菜類、トウモロコシ、ヒマワリ、小麦などを多く産する。畜産部門は農業総生産の約30%を占め、乳・肉生産地帯となっている。雌ウシ、ヒツジ、ヤギが広く飼育されているほか、養蚕もみられる。

 交通網は発達している。地下資源としてマンガン、石炭などがあり、水力資源も豊かである。アゼルバイジャンのバクーの石油も一部、ジョージアを通るパイプラインで黒海沿岸に輸送されることになったが、政治が不安定であったため、工業生産は1994年には1990年の5分の1に落ちるという危機的状況となった。そのため1994年9月以降緊縮財政と金融政策によってインフレを抑え、国際通貨基金(IMF)やロシアの援助を得て再建をはかった。その結果、1995年の経済成長率はプラスに転じ、1998年も2.8%を記録した。1992年のインフレ率(物価上昇率)が1500%という超インフレも1998年には11.0%と収束してきた。1995年9月25日ロシアのルーブルにかえ、独自通貨ラリを発行した。

 その後、アゼルバイジャンの石油・天然ガス輸送パイプライン建設による景気浮揚、サービス部門等の成長、海外からの投資増大などを受けて経済成長が続いたが、南オセチアをめぐるロシアとの武力衝突の影響や世界的な金融危機による景気後退に大きな影響を受け経済は停滞している。

 2013年の国内総生産(GDP)は161.4億ドル、1人当りGDPは3600ドル(推定)となっている。貿易額は輸出29.09億ドル、輸入78.74億ドル(2013)と大幅な輸入超過である。おもな輸出品目はくず鉄、金属、輸送用機器、食料品(ワイン、果物・ナッツ類などの農産物、ミネラルウォーターなど)、おもな輸入品目は石油・天然ガスなどの燃料、石油製品、輸送用機器、医薬品などである。

[渡辺一夫・木村英亮]

教育・文化

ジョージアの初等・中等教育(小・中・高等学校)は12年制あるいは11年制で行われ、義務教育は11年生修了時までとなっている。高等教育の大学は4年または5年制でトビリシ国立大学、トビリシ医科大学などがある。公用語はジョージア語で、ロシア語も広く使われている。地域によってはアルメニア語、アゼルバイジャン語も通用し、学校の授業でも使われている。

 新聞にはレゾナンシ、24Hours、ジョージア・トゥデイ、ジョージア・タイムズなど、通信社にはイプリンダ通信などがある。放送にはジョージア公共放送(GPB:Georgian Public Broadcasting)のテレビ、ラジオ、民放テレビのルスタビ2などがある。

[木村英亮]

『小松久男・梅村坦他編『中央ユーラシアを知る事典』(2005・平凡社)』『前田弘毅著、ユーラシア研究所・ブックレット編集委員会企画・編集『グルジア現代史』(2009・東洋書店)』『前田弘毅編著『多様性と可能性のコーカサス――民族紛争を超えて』(2009・北海道大学出版会)』『大野正美著、ユーラシア研究所・ブックレット編集委員会企画・編集『グルジア戦争とは何だったのか』(2009・東洋書店)』



ジョージア(アメリカ合衆国の州)
じょーじあ
Georgia

アメリカ合衆国、南東部の州。人口818万6453(2000)。面積15万2488平万キロメートル。ミシシッピ川以東では最大の州であり、合衆国独立時の13州の一つである。州名はイギリス国王ジョージ2世にちなむ。北はノース・カロライナ州とテネシー州、西はアラバマ州、南はフロリダ州、東はサウス・カロライナ州とそれぞれ接し、南東部は大西洋に面する。州都アトランタ。地形的に三つの地区に分かれ、南半分は海岸平野、北部はアパラチア山地で、その間にピードモント台地がある。海岸平野とピードモント台地の境は滝線(フォール・ライン)となっている。土壌も地形を反映して、海岸平野では灰色土または黄灰色土で、ピードモント台地は赤褐色の植土質土壌、アパラチア山地は灰褐色ポドゾル土壌である。気候は湿潤温暖で、アトランタの年降水量は1390ミリメートル、平均気温は1月が5.6℃、7月が25.6℃である。第二次世界大戦以前、主要な産業は綿花を中心とした農業であった。綿花栽培はその後衰退し、ピーナッツ、タバコ、トウモロコシの販売額が綿花のそれを上回るようになった。ピーナッツは南西部に集中し、タバコは中央部と南部の主産物である。作物よりも畜産の販売額の伸びが大きく、とくに養鶏(ブロイラー)と肉牛が著しい。ピードモント台地と海岸平野は平地林が多く、豊富な松を利用するパルプ材・木材の生産は南部で第1位である。沿岸部の松林から採取されるテルペンチンと樹脂の生産量は、世界の生産量の約半分を占める。かつて繊維・織物を中心としていた工業にも航空機、自動車、食品、製紙、木工、化学製品などが加わり、多様化している。

 1733年、イギリスの将軍オグレソープJames Edward Oglethorpe(1696―1785)が現在のサバナに最初の定住集落を建設し、イギリスの植民地として米、アイ、鹿(しか)皮、木材、樹脂を本国に輸出し、工業製品を輸入していた。19世紀に綿花栽培が普及するにつれて内陸の開拓が進行し、1838年には州の北西部に住んでいたチェロキー人を追い出し、開拓地を拡大した。

[菅野峰明]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ジョージア」の意味・わかりやすい解説

ジョージア

◎正式名称−ジョージアSakartvelo/Georgia。◎面積−6万9700km2。◎人口−450万人(2012)。◎首都−トビリシTbilisi(117万人,2012)。◎住民−ジョージア人70.1%,アルメニア人8.1%,ロシア人6.3%,アゼルバイジャン人5.7%など(2005)。◎宗教−ジョージア正教,アルメニア正教,ロシア正教,イスラム(スンナ派)。◎言語−ジョージア語(公用語),ロシア語,アルメニア語。◎通貨−ラリLari。◎元首−大統領,ギオルギ・マルグヴェラシヴィリGiorgi MARGVELASHVILI(1969年生れ,2013年11月就任,任期5年)。◎首相−ギオルギ・クヴィリカシヴィリGiorgi KVIRIKASHVILI(2015年12月就任)。◎憲法−1995年8月制定。◎国会−一院制(定員150,任期4年)。2012年10月選挙結果,ジョージアの夢83,統一国民運動67ほか。◎GDP−128億ドル(2008)。◎1人当りGDP−1721ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−22%(1997)。◎平均寿命−男70.5歳,女77.8歳(2013)。◎乳児死亡率−20‰(2010)。◎識字率−99.7%(2009)。    *    *カフカス山脈南部の共和国。日本ではグルジアと称していたが,大統領からの要請を受け,2015年に英語名の現表記に改めている。国土の約54%は標高1000m以上の山地で,北にカフカス山脈,南に小カフカス山脈が走り,西は黒海に面している。気候は温暖多雨。高山には氷河がある。住民の7割がジョージア人で,アルメニア人,ロシア人,アゼルバイジャン人のほか,オセット人3%,アブハジア人1.8%(1989)など。多民族構成と関連してソ連時代から北西部にアブハジア自治共和国,南西部にアジャリア自治共和国,中北部に南オセチア自治州が置かれている。茶,レモン,ブドウ,タバコなどを産し,羊,牛,豚の畜産もある。マンガン,スズの鉱物資源に富み,トビリシを中心に機械・化学・冶金工業が行われる。 古代から東西および南北交通の要地で,黒海沿岸のコルヒダ(コルキス)には古代ギリシアの植民市が建設された。ジョージア人は4世紀にキリスト教を受容し,5世紀にジョージアの教会は独立教会(ジョージア正教会)となった。7世紀以後しばしばイスラム教徒に侵略された。1801年東部がロシアに併合され,露土戦争後の1878年全土がロシア領となった。ロシア革命後の1921年ソビエト権力が樹立され,1922年ザカフカス連邦に加盟してソビエト連邦結成に参加,1936年ジョージアとして独自のソビエト連邦構成共和国となった。1990年主権宣言を採択し,1991年4月独立を宣言した。この間,ペレストロイカ期の1989年ころからアブハジアの分離独立運動,南オセチアの自治共和国昇格要求から分離独立へ展開する運動が高揚して武力衝突にいたった。ジョージア政権のガムサフルディアからシェワルナゼへの移行(1992年),ロシア中央の介入という複雑な過程をへて,後者は1992年6月,前者は1994年4月に一応の停戦合意をみた。2003年11月の議会選挙における不正を糾弾する野党の攻勢に対処できず,シェワルナゼ大統領は非常事態を宣言し,同月末に辞任。2004年1月の大統領選挙で国民運動の指導者サアカシビリが選出された。サアカシビリ大統領は汚職根絶などの改革を積極的に推進,2008年の大統領選で再選を決め,同年の議会選挙でも与党統一国民運動が圧勝し,政権基盤を盤石なものとした。ロシアとの関係は,南オセチア問題やジョージアのNATO加盟をめぐって緊張が続き,2008年8月,ジョージア軍と南オセチア軍の衝突にロシアが介入し,ジョージア・ロシアの武力紛争に発展した。EU等による調停で停戦したが,ロシアは南オセチア及びアブハジアの両地域にはジョージア政府の実効支配が及んでいないとして独立を一方的に承認し,ジョージアはロシアと国交を断絶した。しかし,2012年10月の議会選挙では野党連合〈ジョージアの夢〉が過半数を制し,イヴァニシヴァリ政権が発足,イヴァニシヴァリはロシアとの関係改善を図って二国間対話を進めた。2013年10月に行われた大統領選挙では与党連合〈ジョージアの夢〉のマルグヴェラシヴィ候補が当選,大統領に就任し,ガリバシビリ首相を首班とする新内閣が発足した。2015年12月マルグヴェラシヴィ大統領は前首相の辞任を受け,新たな首相にクヴィリカシヴィリを指名した。→ジョージア語
→関連項目カフカスシュワルナゼバトゥーミ南オセチア

ジョージア[人]【ジョージア】

カフカス地方の住民。自称はカルトベリ。ジョージア国内に約380万人(1989)が居住。4世紀にはキリスト教化した。ジョージア人の国家は12世紀にはバグラト朝のもとで最盛期を迎えたが,ティムール朝,トルコ,イランなどの支配を経てロシアに編入された。
→関連項目カフカスジョージア語

ジョージア[州]【ジョージア】

米国南部にある州。略称Ga.,GA。アパラチア山脈南部から大西洋岸の海岸平野にかけて広がり,大部分が平野と丘陵地。19世紀末から20世紀初頭には南部の綿工業の中心地として発展。現在もプランテーション時代の大邸宅が残っている。ラッカセイ,ペカン,タバコ,大豆,トウモロコシも栽培される。林業も盛ん。世界有数のテレビン油の産地。カオリン,酸性白土の産でも知られる。化繊・化学・機械工業も発展している。住民の約27%が黒人。1733年大西洋岸に最初の植民。独立13州の一つ。州都アトランタ。14万8959km2。1009万7343人(2014)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョージア」の意味・わかりやすい解説

ジョージア
Georgia

正式名称 ジョージア Sakartvelo(グルジア語)。
面積 6万9700km2アブハズ自治共和国南オセチヤ自治州を除く面積は 5万7160km2)。
人口 373万(2021推計。アブハズ自治共和国と南オセチヤ自治州を除く)。
首都 トビリシ

ザカフカジエ(後カフカス地方),黒海東岸に位置する国。旧称グルジア。2015年日本政府はジョージア政府からの要請に応じて,呼称をジョージアに変更した。北はロシア,東はアゼルバイジャン,南はアルメニア,トルコと接する。国土内にアジャール自治共和国,アブハズ自治共和国と南オセチヤ自治州を含む。地形は北の大カフカス山脈,南の小カフカス山脈,その間のコルヒダ低地に大別され,国土の 87%が山地である。リオニ川クラ川が主要河川。山脈が北風をさえぎるため,冬季も温暖で,沿岸部は湿潤な亜熱帯性気候に属する。住民の 3分の2がグルジア人,約 8%がアルメニア人,ほかにロシア人,アゼルバイジャン人がいる。また少数民族としてオセチヤ人,アブハズ人がそれぞれの自治州,自治共和国を中心にして住んでいる。公用語はグルジア語。東西交通の要地として紀元前より文化が発達し,統一王国も出現したが,しばしば他民族の占領,支配を受けた。19世紀初めにロシアに併合され,1921年グルジア=ソビエト社会主義共和国が成立,1936年ソビエト連邦の構成共和国となった。1990年グルジア共和国に改称し,1991年独立,1992年7月国際連合加盟。1993年10月独立国家共同体 CISに参加。独立以来,内部対立などから政情不安が続いている。ジョージア中央政府の統治に不満を抱くオセチヤ人アブハズ族の民族問題も深刻である。石炭,マンガン鉱,銅,亜鉛などの地下資源があり,各地に鉱泉をもつ。これらをもとに鉄鋼業,合金製造業が発展。ほかに機械(農業機械,食品工業用設備,自動車,電気機関車),化学(肥料,合成繊維,染料),木材加工,農産物加工(絹織物,茶,たばこ,ワイン,ブランデー,皮革)などの工業があり,特に農産物加工業の工業生産に占める割合は高い。農業では亜熱帯性作物(チャ〈茶〉,タバコ,ブドウ),ヒマワリ,テンサイなどの栽培が盛んで,牧羊,養蚕も発達。観光・保養産業も重要で,スフミバトゥーミのほかボルジョミ,ガグラ,ツハルトゥボ,ノーブイアフォンなどが保養地として知られている。国内交通は東西方向の鉄道,道路が中心で,カフカス越えの道路,黒海沿岸の鉄道,さらに空路により国外とも連絡。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ジョージア」の意味・わかりやすい解説

ジョージア[州]
Georgia

アメリカ合衆国南部の州。略称Ga.。面積15万2488km2,人口819万(2000)。州都および最大都市アトランタ。独立13州の一つ。州名はイギリス王ジョージ2世にちなむ。北からアパラチア山脈南西端部,ピードモント台地が横たわり,その南に広がるコースタル・プレーン(海岸平野)は州面積の60%を占める。夏は暑いが,冬にはかなり気温が下がり,ときどき降雪をみる地域も多い。州中央部を走る滝線に沿って,オーガスタ,メーコン,コロンバスなどの滝線都市が並ぶ。しかし同州の経済,交通,文化の中心は,北西部に位置するアトランタで,ここは南部最大の都市でもある。同州自体も,〈南部の帝国州Empire State of the South〉の別称をもつように,南部の中心的地位を占めてきた。とくに州中央部は,19世紀から20世紀初頭のピーク時まで,南部の綿花王国の中心をなした。綿花生産と綿織物工業は衰退したが,その伝統は他の織物産業に引き継がれている。第39代大統領のJ.E.カーターがプレーンズのピーナッツ農場主であったことは有名であるが,同州は全米第1位(1980)のラッカセイの生産地である。林地が州面積の69%を占め,松や硬木の伐採も各地で行われている。また北部地域は建築用の大理石や花コウ岩,陶磁器用のカオリンの大産地としても知られる。工業化も進められてはいるが,1人当りの所得はいまだに合衆国平均の85%(1980)である。他の南部諸州と同様に黒人人口は多く,南北戦争開始時には44%,1980年には27%を占めた。古い南部のなごりとしてプランテーションの大邸宅が各地にみられ,北部山間地にはカントリー・ミュージックのブルーグラスに影響を与えた音楽が残っている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

知恵蔵mini 「ジョージア」の解説

ジョージア

ロシアとトルコに挟まれた黒海の東岸に位置する国。グルジア語での正式名称は「サカルトベロ」。首都・トビリシ。人口430万人(2013年)、面積6万9700平方キロメートル(日本の約5分の1)。6世紀以降のペルシアやアラブ、ロシア帝国などによる侵略・併合の歴史を経て、1922年、旧ソ連結成に参加。91年、崩壊しかけていたソ連からの独立を宣言、内戦などの混乱を経て現在に至る。2008年にはグルジア軍と南オセチア軍の軍事衝突にロシアが介入し、対ロシア感情が悪化。同国の英語表記をロシア語に基づく「グルジア」から「ジョージア」に変えるよう各国に要望し、国連加盟国の多くがジョージアに変更した。日本でも15年4月14日に参議院本会議で呼称をジョージアに変更することが決まった。

(2015-4-16)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「ジョージア」の解説

ジョージア〔戦艦〕

《Georgia》アメリカ海軍の戦艦。バージニア級の前弩級戦艦。船体識別番号はBB-15。1904年進水、1906年就役。グレート・ホワイト・フリートの世界一周航海(1907~1909年)に参加。1920年退役。その後スクラップとして売却。

ジョージア〔飲料ブランド〕

日本コカ・コーラ株式会社が販売するコーヒー飲料のブランド。1975年発売。シリーズはほかに「ジョージア エメラルドマウンテンブレンド」「ジョージア ヨーロピアン」などがある。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ジョージア」の解説

ジョージア
Georgia

アメリカ合衆国南東部の州,独立時の13州の1つ
1733年,13植民地のうち,最後に建設された植民地。州名はイギリス国王ジョージ2世(在位1727〜60)にちなむ。州都はアトランタ。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

配属ガチャ

入社後に配属される勤務地や部署が運次第で当たり外れがあるという状況を、開けてみなければ中身が分からないカプセル玩具やソーシャルゲームで課金アイテムを購入する際のくじに例えた言葉。企業のネガティブな制...

配属ガチャの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android