バターリャの修道院(読み)バターリャのしゅうどういん

世界の観光地名がわかる事典 「バターリャの修道院」の解説

バターリャのしゅうどういん【バターリャの修道院】

ポルトガル中東部、美しい海岸線を持つ観光地として知られる町ナザレ(Nazaré)近郊の町バターリャ(Batalha)にある修道院。1980年からは博物館になっている。首都リスボンの北約120kmに位置する。バターリャ町は、この修道院の建設をきっかけに誕生した町である。ポルトガル王位をめぐって、カスティーリャ王のフアン1世との間で起こったアルジュバロータの戦い(1385年)に勝利したポルトガル国王のジョアン1世(1357~1433年)が、勝利の感謝を聖母マリアに捧げるために建設した修道院である。1386年に建設が開始され、ある程度完成したのは1517年のことで、この間、15人の建築家がかかわり、ポルトガルでは未知の最新技術が積極的に取り入れられたといわれ、マヌエル様式というポルトガル独特のゴシック様式を大成させる素地をつくった。修道院内の王の回廊は、マヌエル様式の装飾が見事に表現された傑作といわれている。その後、この修道院は1755年のリスボン大地震や1810年ごろのナポレオン軍の攻撃で大きな被害を受け、またドミニコ修道会追放により放棄されて廃墟と化したが、1840年にフェルナンド2世修復に着手し、その作業は20世紀の初めまで続いた。

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世界遺産詳解 「バターリャの修道院」の解説

バターリャのしゅうどういん【バターリャの修道院】

1983年に登録されたポルトガルの世界遺産(文化遺産)で、首都リスボンの北方、コスタ・デ・プラタ地方に位置する。フェルナンド1世の死により隣国カスティーリャが王位を求めて侵入し、その戦いに勝利したジョアン1世が、聖母祈願の賜物と感謝して1388年に着工した。主要部分は1533年に完成し、ゴシック様式とマヌエル様式が混在する。この修道院の「創設者の礼拝堂」には、ジョアン1世と王妃が仲睦まじく手をつないで永眠している彫刻の棺やエンリケ航海王子らの棺がある。特に「王の回廊」は、マヌエル様式の彫刻が施されている。人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして、世界遺産に登録された。◇英名はMonastery of Batalha。バターリャは、ポルトガル語で「戦い」という意味。

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百科事典マイペディア 「バターリャの修道院」の意味・わかりやすい解説

バターリャの修道院【バターリャのしゅうどういん】

バターリャ

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