コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

バネルジー バネルジーBanerjea, Sir Surendranath

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バネルジー
Banerjea, Sir Surendranath

[生]1848.11.10. カルカッタ
[没]1925.8.6. バラクプル
インドの民族運動初期の指導者。 1869年文官勤務となったが2年間で解職され,76年インド人協会を設立し,文官任用の人種的差別に抗議した。 83年おもに彼の奔走により全インド国民協議会がカルカッタで開催された。また国民会議にも参加。 93年ベンガル立法参事会委員となる。 1905年のベンガル分割に反対し,スワラージ運動を支持。 18年インド国民会議派から分れ,穏健分子による国民自由連合を結成した。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

バネルジー【Surendranāth Banerjī】

1848‐1925
インドの政治家。ベンガルの出身。カルカッタ大学卒業後,渡英してインド文官職(ICS)の試験に合格。帰国して文官勤務に入るがイギリス人上司の人種差別的措置のため解雇される。このあとカルカッタにカレッジを開くなど,青年の教育につとめる。1883年に全インド国民協議会設立を推進するが,85年にボンベイで国民会議派が結成されてからはこれに参加し,以後国民会議派内の親英的穏健派の代表となる。95年と1902年に国民会議派議長。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バネルジー
ばねるじー
Surendranth Banerj
(1848―1925)

インドの政治家。ベンガルのクリン・ブラーフマン・カースト出身。カルカッタ大学卒業後、イギリスに渡ってインド文官職(ICS)の試験に合格して帰国。文官勤務に入るが、イギリス人上司の人種差別的措置によって解雇され、その後カルカッタ(現コルカタ)で自らカレッジを開いたりして青年の教育に努め、1876年にはインド協会を設立し、ベンガルを中心に民族主義的活動を開始した。1883年にはカルカッタで全インド国民協議会の設立に努めたが、1885年のボンベイ(現ムンバイ)での全インド国民会議派結成後は積極的にこれに参加し、以後会議派内の親英的な穏健派グループの重鎮となった。1895年と1902年に国民会議派議長を務める。第一次世界大戦後の1918年に国民会議派内の穏健派グループを率いてこれを脱退し、国民自由連盟を結成。同年イギリスからナイトの称号を与えられた。著書に自伝的な『インド国民形成史』がある。[内藤雅雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内のバネルジーの言及

【国民会議派】より

…1885年12月ボンベイで開催されたインド国民会議がその起源であるが,その結成に当たり二つの潮流が存した。一つはイルバート法案闘争の中でS.バネルジーらを中心に結成された全インド国民協議会All‐India National Congressで,これはイギリス側の人種差別行政に反発するインド知識人や中間層を代弁した。他はイギリス人官吏のリベラルな部分であった。…

※「バネルジー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

バネルジーの関連キーワードモヘンジョ・ダロモヘンジョ・ダロイルバート法案11月10日インダス文明ナオロジー

今日のキーワード

俳句甲子園

1998年から松山市で開かれる全国高等学校俳句選手権大会。高校生が5人1組で句の優劣をディベートで競い合う。チームでの勝敗とは別に、個人の最優秀句も選ぶ。今年は過去最多の41都道府県から121校、15...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

バネルジーの関連情報