日本大百科全書(ニッポニカ) 「バレンタイン」の意味・わかりやすい解説
バレンタイン
ばれんたいん
Robert John Valentine
(1950― )
アメリカのプロ野球選手(右投右打)、監督。大リーグ(メジャー・リーグ)のロサンゼルス・ドジャース、カリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)、サンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・メッツ、シアトル・マリナーズでおもに内野手としてプレー。1985年からは監督として大リーグのテキサス・レンジャーズ、メッツ、日本の千葉ロッテマリーンズで采配(さいはい)を振るう。日本では「ボビー」の愛称で親しまれ、また大リーグの監督として吉井理人(よしいまさと)(1965― )、野茂英雄(のもひでお)、柏田貴史(かしわだたかし)(1971― )、新庄剛志(しんじょうつよし)(1972― )ら日本人選手たちを多く受け入れたことでも知られる。
5月13日、コネティカット州スタンフォードで生まれる。南カリフォルニア大から1968年、ドラフト1巡目(全体5番目)指名でドジャースに入団。2年目の1969年には早くも大リーグ昇格を果たしたが、華々しい活躍をすることはできず、数球団を転々とした後、79年のマリナーズを最後に現役を引退した。その後、マイナーの指導者などを経て、1983年のシーズン途中からメッツのコーチに昇格。1985年の途中からはレンジャーズの監督に就任した。しかし、優勝することはできず、1992年の途中で解任された。翌93年はシンシナティ・レッズのコーチ、94年はメッツ傘下のAAA級で監督を務め、95年(平成7)はロッテの監督に就任。万年Bクラスだったチームをよくまとめ、2位に引き上げた。1996年はメッツ傘下のAAA級監督に復帰し、シーズン途中からメッツの監督に昇格した。同地区に全盛を誇るアトランタ・ブレーブスがいながらも、1997年3位、98年からは3年連続2位、2001年も3位と健闘。1999年と2000年はワイルドカード(リーグごとに各地区優勝チーム以外の最高勝率チームに与えられるプレーオフ進出の権利)でプレーオフに進出した。なかでも2000年はリーグ優勝し、ワールド・シリーズでヤンキースと対戦。1勝4敗で敗れたものの、ニューヨークを本拠地とする球団同士の対決で「サブウェイ・シリーズ」(地下鉄で両チームの本拠地を行き来できることに由来する)として注目を集めた。2002年は5位に低迷し、シーズン終了直後に解任された。2004年、ふたたびロッテの監督に就任、9年ぶりの勝率5割に導いた。2005年はボビー・マジックといわれる巧みな采配でリーグ2位に押し上げ、プレーオフではリーグ1位の福岡ソフトバンク・ホークスを3勝2敗で降してリーグ優勝。日本シリーズでは阪神タイガースに4連勝して31年ぶりの日本一に上り詰めた。同年11月には初の開催となるアジア・シリーズでも優勝を果たした。
選手としての実働10年間の通算成績は、出場試合639、安打441、打率2割6分、ホームラン12本、打点157。監督としての大リーグ(15年間)通算成績は、1117勝1072敗、リーグ優勝1回。日本での2007年までの通算成績は、359勝303敗17分け、リーグ優勝1回、日本シリーズ優勝1回。
[山下 健]
『ボビー・バレンタイン著『1000本ノックを超えて バレンタイン監督の日米野球論』(1996・永岡書店)』▽『ボビー・バレンタイン著『バレンタインの勝ち語録――自分の殻を破るメッセージ80』(2005・主婦と生活社)』▽『ボビー・バレンタイン著『ボビー流――バレンタイン監督の生き方、考え方』(2005・マガジンハウス)』