ホークス(読み)ほーくす(その他表記)Howard Hawks

デジタル大辞泉 「ホークス」の意味・読み・例文・類語

ホークス(Howard Hawks)

[1896~1977]米国の映画監督ミュージカル映画西部劇ギャング映画など、多彩な作品を手がけた。監督作「暗黒街の顔役」「赤い河」など。

ホークス(Hawks)

福岡ソフトバンクホークス

ホークス(hoax)

うその情報。でっち上げ。デマ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホークス」の意味・わかりやすい解説

ホークス(Howard Hawks)
ほーくす
Howard Hawks
(1896―1977)

アメリカの映画監督。インディアナ州に生まれる。助監督、編集、脚本などを手がけたのち、『栄光への道』(1926)で監督となる。その作品は、ギャング映画『暗黒街の顔役』(1932)、喜劇映画『赤ちゃん教育』(1938)、探偵映画三つ数えろ』(1946)、ミュージカル映画『紳士は金髪がお好き』(1953)、西部劇『リオ・ブラボー』(1959)など、さまざまなジャンルにわたる。自作の脚本と製作を自ら監修することを原則とし、その姿勢は、作家主義を掲げたフランスヌーベル・バーグによって高く評価された。

[武田 潔]

資料 監督作品一覧

栄光への道 The Road to Glory(1926)
無花果の葉 Fig Leaves(1926)
新旧恋の三段返し The Cradle Snatchers(1927)
雲晴れて愛は輝く Paid to Love(1927)
港々に女あり A Girl in Every Port(1928)
ファジル Fazil(1928)
空中サーカス The Air Circus(1928)
トレント大事件 Trent's Last Case(1929)
暁の偵察 The Dawn Patrol(1930)
光に叛く者 The Criminal Code(1931)
暗黒街の顔役 Scarface(1932)
群衆の喚呼 The Crowd Roars(1932)
虎鮫 Tiger Shark(1932)
今日限りの命 Today We Live(1933)
奇傑パンチョ Viva Villa!(1934)
特急二十世紀 Twentieth Century(1934)
バーバリー・コースト Barbary Coast(1935)
無限の青空 Ceiling Zero(1936)
永遠の戦場 The Road to Glory(1936)
大自然の凱歌 Come and Get It(1936)
赤ちゃん教育 Bringing Up Baby(1938)
コンドル Only Angels Have Wings(1939)
ヒズ・ガール・フライデー His Girl Friday(1940)
ヨーク軍曹 Sergeant York(1941)
教授と美女 Ball of Fire(1941)
空軍 エア・フォース Air Force(1943)
脱出 To Have and Have Not(1944)
三つ数えろ The Big Sleep(1946)
赤い河 Red River(1948)
ヒット・パレード A Song Is Born(1948)
僕は戦争花嫁 I Was a Male War Bride(1949)
果てしなき蒼空 The Big Sky(1952)
人生模様~「酋長(しゅうちょう)の身代金」 O. Henry's Full House - The Ransom of Red Chief(1952)
モンキー・ビジネス Monkey Business(1952)
紳士は金髪がお好き Gentlemen Prefer Blondes(1953)
ピラミッド Land of the Pharaohs(1955)
リオ・ブラボー Rio Bravo(1959)
ハタリ! Hatari!(1962)
男性の好きなスポーツ Man's Favorite Sport?(1964)
レッドライン7000 Red Line 7000(1965)
エル・ドラド El Dorado(1966)
リオ・ロボ Rio Lobo(1970)

『J・マクブライド著、梅本洋一訳『監督ハワード・ホークス――「映画」を語る』(1986・青土社)』


ホークス(John Hawkes)
ほーくす
John Hawkes
(1925―1998)

コネティカット州出身のアメリカの小説家。少年時代から喘息(ぜんそく)の持病があり、第二次世界大戦に参戦できなかったが、ハーバード大学を中退してドイツでアメリカ軍の傷病兵運搬車の運転手を勤めた。戦後に復学して、詩を書いていたが、前衛的な小説家でもあるアルバート・ゲラード教授の創作学コースをとってから、フィクションに転向し、『シャリバリ(結婚狂想曲)』(1949) という幻想的な中編でゲラード教授にたぐいまれな独創性を認められた。やがてホークスは同教授の示唆を受けながら、現在でも彼の最高傑作とみなされる『人食い』(1949)を書き上げた。これは戦後まもないドイツの小都市で、ネオナチ集団が占領米軍を撃退し、支配権を奪回するという物語。その最初から最後まで、ひとりのナチ指導者が仕込み杖(づえ)を振りかざして、罪のないひ弱な少年を街じゅう追いかけ、最後にはキツネに変身した少年を殺して、その肉を同志らとともに食べる。おそらくあらゆる人間の内面深くに潜んでいる加害者性を、悪夢のようなブラック・ユーモアで暴いてみせた文学的な技法は、批評家以上に多くの有能な作家志望者を驚嘆させた。『キャッチ‐22』のジョーゼフ・ヘラーも『人食い』から大きな影響を受けたと認めていた。

 その後、ホークスは『虫の脚』(1951)、『罠 ライム・トゥイッグ』(1961)、『もうひとつの肌』(1964)、『ブラッド・オレンジ』(1971)、『死、眠り、そして旅人』(1974)、『激突』(1976)など、いまや「現代の古典」とみなされている秀作をはじめ、『ビルジニー』(1982)、『スィート・ウィリアムズ』(1993)などの長編を含む多くの作品で、伝統的なプロットに頼らず、読者の想像力を喚起する―つまりは、読者の想像力のなかでのみ完結する―声とイメージの世界を創造した。作家好みの作家といわれ、大衆性には乏しいが、現代文明がもたらす死と破壊と腐敗とに対比させられた(ピューリタン的道徳に真っ向から挑戦するかのような)彼のエロティシズムは、現代アメリカ作家のうちでも際だって新鮮であり、アメリカ以上にフランスで高い評価を受けている。なお、『ブラッド・オレンジ』は1997年にフィリップ・ハースが監督して映画化され(題は『インモラル・ビーチ』)、ホークス夫妻もメキシコのロケ現場を訪れた。

[飛田茂雄]

『吉田誠一・関敬子訳『もうひとつの肌』(1983・国書刊行会)』『飛田茂雄訳『人食い』(1997・彩流社)』『飛田茂雄訳『激突』(1997・彩流社)』『田中啓史訳『罠 ライム・トゥイッグ』(1997・彩流社)』『柴田裕之訳『死、眠り、そして旅人』(1998・彩流社)』『迫光訳『ブラッド・オレンジ』(2001・彩流社)』


ホークス(Terence Hawkes)
ほーくす
Terence Frederick Hawkes
(1932― )

イギリスの批評家。ウェールズのカージフ大学を卒業、しばらくアメリカで教職につくが、のち母校に帰り、英文科教授となる。早くから伝統的なシェークスピア研究で知られたが、しだいにフランスやアメリカの新しい批評理論に近づき、構造主義や記号論の立場から「観客反応」「比喩(ひゆ)創出」などの柔軟な視点を提供し、1980年代以後の文学研究に多大な影響を与えた。『構造主義と記号論』(1977)その他の著書もある。

[川崎寿彦・上田和夫]

『池上嘉彦他訳『構造主義と記号論』復刊版(2002・紀伊國屋書店)』

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百科事典マイペディア 「ホークス」の意味・わかりやすい解説

ホークス

米国の映画監督。インディアナ州生れ。《栄光への道》(1926年)でデビュー。アル・カポネをモデルにした《暗黒街の顔役》(1932年)で注目される。《赤ちゃん教育》(1938年)や《ヒズ・ガール・フライデー》(1940年)など,めまぐるしいまでに会話が飛び交う〈スクリューボール・コメディ〉から,R.チャンドラー原作・W.フォークナー脚本・H.ボガート主演のハードボイルド《三つ数えろ》(1946年),J.ウェイン主演の西部劇《赤い河》(1948年)までさまざまな作品を手がけ,ハリウッドを代表する職人監督としての定評を得た。ほかにM.モンロー主演《紳士は金髪がお好き》(1953年),西部劇《リオ・ブラボー》(1959年),猛獣狩りを描く《ハタリ!》(1961年)などがある。
→関連項目グラントバコールヘプバーンミッチャムワーナー・ブラザース[会社]

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改訂新版 世界大百科事典 「ホークス」の意味・わかりやすい解説

ホークス
Howard Hawks
生没年:1896-1977

アメリカの映画監督。アクション映画専門の職人監督とみなされてきたが,1950年代後半から60年代にかけてフランスでその〈作家主義〉が正当に評価され,ハリウッドでもっとも個性的な映画作家の一人とみなされるに至る。

 喜劇《無花果の葉》(1926),《赤ちゃん教育》(1938),ギャング映画《暗黒街の顔役》(1932),航空映画《暁の偵察》(1930),《コンドル》(1939),戦争映画《今日限りの命》(1933),《ヨーク軍曹》(1941),ハードボイルド映画《三つ数えろ》(1946),西部劇《赤い河》(1948),《リオ・ブラボー》(1959),猛獣狩りの冒険映画《ハタリ!》(1962)等々,その作品は多彩なジャンルにわたるが,奇をてらわずにカメラを駆使する熟達のストーリー・テラーとして定評がある。また〈男性アクション映画〉の巨匠といわれながら,《コンドル》ではリタ・ヘイワース,《脱出》(1944)ではローレン・バコール,《ピラミッド》(1955)ではジョーン・コリンズ,《リオ・ブラボー》ではアンジー・ディキンソンをスターにした〈女優づくりの名匠〉でもある。不遇だったころの作家ウィリアム・フォークナーをハリウッドに脚本家として招きいれ,《栄光への道》(1936),《脱出》《三つ数えろ》《ピラミッド》の脚本を書かせたことでも知られる(フォークナーはそのほかにも脚本を書いているが,その名まえがクレジットされているのは,ホークスの4作品だけである)。75年,アカデミー特別功労賞があたえられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホークス」の意味・わかりやすい解説

ホークス
Hawks, Howard

[生]1896.5.30. インディアナ,ゴーシェン
[没]1977.12.26. カリフォルニア,パームスプリングズ
アメリカ合衆国の映画監督。1926年のデビュー作『栄光への道』The Road to Glory以降,主として男の戦いと友情をテーマにしたギャング映画西部劇などを発表し続けた。脚本や配役もみずから監修し,独自の映画世界を築いた点で,作家主義を唱える批評家に高く評価されている。1975年アカデミー名誉賞受賞。おもな作品に『暗黒街の顔役』Scarface: The Shame of a Nation(1932),『コンドル』Only Angels Have Wings(1939),『ヒズ・ガール・フライデー』His Girl Friday(1940),『ヨーク軍曹』Sergeant York(1941),『赤い河』Red River(1948),『紳士は金髪がお好き』Gentlemen Prefer Blondes(1953),『リオ・ブラボー』Rio Bravo(1959),『ハタリ!』Hatari!(1962),『リオ・ロボ』Rio Lobo(1970)など。

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世界大百科事典(旧版)内のホークスの言及

【暗黒街の顔役】より

…ハワード.ヒューズ製作,H.ホークス監督および共同製作のアメリカの映画の名作。1930年製作。…

【ギャング映画】より

…やがてトーキーによって拳銃の発砲やマシンガンの掃射や自動車の疾走などが〈音〉を獲得するや,その暴力とアクションの魅力で大衆を熱狂させ,30年代初頭にギャング映画は黄金時代を迎えることになる。その口火を切ったのが,ギャング映画の古典として知られる次の3作,マービン・ルロイ監督,エドワード・G.ロビンソン主演《犯罪王リコ》(1930),ウィリアム・A.ウェルマン監督,ジェームズ・キャグニー主演《民衆の敵》(1931),ハワード・ホークス監督,ポール・ムニ主演《暗黒街の顔役》(製作は1930年,公開は32年)で,いずれもシカゴのギャングのボスとして鳴らし,当時まだ獄中にあったアル・カポネをモデルにして主人公の無法の人生と末路を描いた。主役を演じたロビンソン,キャグニー,ムニはいずれも一躍スターにのし上がり,また《暗黒街の顔役》でムニの弟分を演じたジョージ・ラフトとともに,4大ギャングスターとなった。…

【コンドル】より

…ハワード・ホークスが1939年に製作,監督した航空映画の古典的名作。トーキー誕生後,音の魅力とともに航空撮影や特殊技術の進歩によって,空中戦映画や航空映画は流行のジャンルの一つとなったが,これはホークス自身の見聞と体験をもとにしたもので,南アメリカのアンデス山中の小空港を舞台に郵便飛行士たちの命がけの任務と冒険を描く。…

【西部劇】より

…トーキー時代を迎えて,西部劇は馬のいななきやひづめの音や銃声や西部民謡といった〈音声〉の魅力を加えて発展し,他のジャンルと同様に音にふりまわされるという一時の試行錯誤はあったものの,あくまでも野外のドラマという条件のために室内劇のような台詞過剰に陥ることはなく,ラオール・ウォルシュ監督《懐しのアリゾナ》(1929)やキング・ビダー監督《ビリー・ザ・キッド》(1930)で効果的に使われたギターやピアノを使った音楽場面,銃撃戦,野宿のフライパンの中でベーコンの焼ける音といった音の使い方はその後の西部劇にも不可欠の要素となった。
[全盛期から西部劇の変容へ]
 西部劇の全盛時代は,ジョン・フォード監督《駅馬車》(1939)からハワード・ホークス監督《リオ・ブラボー》(1959)に至る20年間であるというのがほぼ定説になっている。〈アメリカ自身が迷わなかった〉時代であり,映画をつくる側も見る側も迷わず〈フロンティア・スピリット(開拓者精神)〉を信じて夢を描くことができた時代であり,またサイレント時代からたたき上げてきた特色ある監督や俳優が円熟あるいは絶頂を極めた時期でもあった。…

【ハタリ】より

…1961年製作のアメリカ映画。ハワード・ホークス監督作品。東アフリカのタンザニアにロケし,猛獣生捕りのプロフェッショナルたちの活動を描いているが,ホークス自身も〈これは西部劇の中に入れてもいい〉といっているように,主役のジョン・ウェインを中心に老・壮・青年の3世代に美女を加えたグループのチームワークが生み出す楽しさという点で《リオ・ブラボー》(1959)に始まり《エル・ドラド》(1966),《リオ・ロボ》(1970)とつづく西部劇三部作の〈番外編〉と見ることができる。…

【リオ・ブラボー】より

…1959年製作のアメリカ映画。《赤い河》(1948)に次ぐハワード・ホークス監督,ジョン・ウェイン主演の西部劇で,このあと同工異曲のプロットと人物配置をもつ同じコンビの西部劇《エル・ドラド》(1966),《リオ・ロボ》(1970)と合わせて〈リオ・ブラボー三部作Rio Bravo Trilogy〉とよばれる。 ウィル・ライト著《六連発銃と社会》(1975)によれば,開拓民の共同体を〈悪〉から守るヒーローの活躍を描いた〈古典的なプロット〉の西部劇に対して,まずジョン・フォード監督の《駅馬車》(1939)が個人の執念に生きるヒーローを描く〈復讐のテーマ〉の西部劇のはじまりとなり,次いで《リオ・ブラボー》がプロのガンファイターたちのプロとしての誇りと責任や腕の競い合いを興味の中心とする〈プロフェッショナルのテーマ〉を開いた西部劇として,トーキー以後の西部劇の流れを変えたという。…

※「ホークス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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