パドリ戦争(読み)パドリせんそう(英語表記)Padri War

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パドリ戦争
パドリせんそう
Padri War

スマトラ南西部,ミナンカバウ族の反オランダ抗争 (1803~37) 。最初はイスラム改革主義者と慣習法に基づく伝統的支配者との争いに端を発したが,1833年以後オランダは後者に加担し,住民たちの激しい抵抗を招いた。オランダはその中心であるボンジョール地区を2年間包囲して降伏させ,イスラム指導者イマム・ボンジョールを追放して戦争を終結させた。

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世界大百科事典 第2版の解説

パドリせんそう【パドリ戦争】

19世紀前半,インドネシアのスマトラ西部ミナンカバウ地方で,厳格なイスラム教徒(パドリPadri派)を中心とする勢力が,オランダとの間に展開した武力紛争。発端は,1803年にメッカから戻った3人の巡礼者が,ワッハーブ派の影響のもとにイスラムの戒律強化の運動を始め,慣習派(アダット派)との間に対立を深めたことにある。慣習派はパドリ派によるこの改革運動を制するため,初めイギリスに,また21年には領土委譲を条件にオランダに武力援助を求めたが,これにより事態は植民地戦争の様相を呈するにいたった。

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大辞林 第三版の解説

パドリせんそう【パドリ戦争】

1820年から37年まで、インドネシアのスマトラ島西部のミナンカバウ地方で起きた、イスラム教徒(パドリ派)の反オランダ抵抗戦争。オランダ軍により鎮圧された。

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世界大百科事典内のパドリ戦争の言及

【オランダ領東インド】より

…この制度はオランダの人道主義者たちの非難を受け,コーヒーを除いて70年に廃止された。 オランダの支配に対する原住民の抵抗は各地で頻発し,強制栽培制度実施以前にも1825‐30年,ジョクジャカルタ王族の一人ディポネゴロの指導する反乱が起こり,また西スマトラでは同じころイマーム・ボンジョールの率いるミナンカバウ・イスラム教徒の反乱(パドリ戦争)があり,37年にようやく鎮圧された。さらに73年から1912年にかけて,スマトラ北端のアチェ王国に起こったアチェ戦争はオランダ軍多数の投入を必要とし,東インド最大の戦争と言われた。…

※「パドリ戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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