パークマン(英語表記)Francis Parkman

改訂新版 世界大百科事典 「パークマン」の意味・わかりやすい解説

パークマン
Francis Parkman
生没年:1823-93

アメリカの歴史家。ニューイングランド名家に生まれ,幼時から野外生活を好んだ。ハーバード大学法律学を修めたが,法律業にはつかず,1846年,オレゴンへの大旅行を行い,インディアンの生活を調べた。この経験から《カリフォルニア・オレゴン・トレール》(1849)を著したが,健康を害し,終生神経の乱れと視力不足に苦しんだ。51年に《ポンティアック反乱史》を出版,以後ライフワークとなった北アメリカにおける英仏抗争史7巻を次々に出版した。《ラ・サールと大西部の発見》(1869),《モンカルムウルフ》(1884)などがこれに含まれ,アメリカ歴史書の古典とされる。それらは原史料を重視したが,劇的事件や英雄的人物に傾き,フランス支配の王制カトリシズムに対するニューイングランドの自由やピューリタニズムを謳歌するなど〈文学的歴史〉の域を出ない。アメリカ考古学会の創設にも貢献した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パークマン」の意味・わかりやすい解説

パークマン
Parkman, Francis

[生]1823.9.16. ボストン
[没]1893.11.8. マサチューセッツ,ジャマイカプレーン
アメリカの歴史家。北アメリカ支配をめぐるフランスとイギリスとの闘争を描いた大部著作で知られる。正確な歴史的事実を巧みに表現し,特にインディアン民族のみごとな描写で有名。病身でほとんど失明寸前となったにもかかわらず,自身の西部旅行の記録である『オレゴンへの道』 The Oregon Trail (1849) ,"Montcalm and Wolfe" (84) など多くの著作を残した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パークマン」の意味・わかりやすい解説

パークマン
ぱーくまん
Francis Parkman
(1823―1893)

アメリカの歴史家。ボストン生まれ。ハーバード大学で法律を学ぶ。1847年自らの探検の記録『オレゴン路』を著す。実証主義的歴史研究を唱え、48~51年、インディアンの反乱をテーマに『ポンティアックの陰謀』を執筆、また植民地時代の英仏による北アメリカ大陸支配抗争の研究を生涯の仕事とし、『新世界におけるフランスの開拓者たち』(1865)、『ラ・サールと大西部の発見』(1879)、『モンカルムとウルフ』(1884)などを発表したが、白人優越の愛国史観を免れなかった。

[白井洋子]

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世界大百科事典(旧版)内のパークマンの言及

【アメリカ・インディアン】より

…笛の類では,1本だけの管を吹くもの,3~10本ほどの管を束ねたパンパイプなどが混交音楽文化の要素としてはたらいている。【山口 修】
【アメリカ合衆国とインディアン】
 19世紀のアメリカ史家フランシス・パークマンは,白人とインディアンの接触の仕方の特性について次のように要約した。〈スペイン文明はインディアンを圧殺した。…

※「パークマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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