ヒジャーズ鉄道(読み)ヒジャーズてつどう

改訂新版 世界大百科事典 「ヒジャーズ鉄道」の意味・わかりやすい解説

ヒジャーズ鉄道 (ヒジャーズてつどう)

ダマスクスメディナを結ぶ鉄道。1900年5月のオスマン帝国スルタンによる勅令によって建設が決定され,その表向きの目的は,イスラム教徒メッカ巡礼に便宜を供することであった。しかしその背後には,聖地ヒジャーズの支配を維持し,かつパン・イスラム主義を標榜することによって,離反しつつあるアラブを支配下につなぎとめておこうとするスルタン,アブデュルハミト2世のオスマン主義の動機が隠されていた。この鉄道は,スルタン自身を含め,全世界のムスリムの寄付によって資金を得た(ただし,半ば強制的なものもある)ところに,同時代に建設されたバグダード鉄道と性格を異にするものがある。建設工事は,延べ5000人余の人員を費やし,わずか8年間でメディナに至る1320kmが1908年に完成したが,〈青年トルコ〉革命によって挫折し,最終目的地であるメッカには至らなかった。鉄道は,しばしばベドウィン襲撃にさらされたが,鉄道の敷設によってハイファの港が大きく勃興した。第1次世界大戦中に戦禍を被ったが,戦後,鉄道の所有権は通過地域の各国に属することとなった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒジャーズ鉄道」の意味・わかりやすい解説

ヒジャーズ鉄道
ヒジャーズてつどう
al-Ḥijāz

オスマン帝国アブドゥル・ハミト2世によって計画されたシリアダマスカスからアラビア半島のメッカ間の鉄道。鉄道建設の目的はイスラム教徒のメッカ巡礼の便宜のためと宣伝されたが,帝国のアラビア半島支配のための鉄道という政治的,軍事的な目的もあった。 1900年に計画が具体化し,08年にはダマスカス-メジナ間の建設が完了したが,アラビア半島の住民反対と帝国の政変のため,メジナ-メッカ間の鉄道の建設は実現しなかった。第1次世界大戦の際,イギリス人将校 T.E.ロレンス進言を受入れたアラブ軍はアラビア半島内の鉄道を破壊し,それは 66年まで再建されないままにあった。

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世界大百科事典(旧版)内のヒジャーズ鉄道の言及

【シリア】より

…その結果,90年代初めには,EUその他西欧諸国が輸出入ともに約51%,ソ連・東欧諸国と中国は輸出入の約24%を占めるようになった。 鉄道は,ダマスクスで西のベイルートと南のアンマーンを結ぶヒジャーズ鉄道と,アレッポを中心にシリア北部を東西に走る路線が敷設されているが,国内輸送の主力は道路輸送によるもので,旅客・貨物とも全輸送量の90%以上を占める(1976)。港湾は北部にラタキア,バーニヤースなどがある。…

※「ヒジャーズ鉄道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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