ヒズボラ(読み)ひずぼら

デジタル大辞泉 「ヒズボラ」の意味・読み・例文・類語

ヒズボラ(〈アラビア〉hizbu'llah)

《神の党の意》レバノンの、親イランシーア派イスラム教徒宗教政治・軍事組織。1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻時にイランから送り込まれた「イラン革命防衛隊」によって組織され、現在、首都ベイルート南部、ベカー高原などに多数民兵を擁している。ヒズボッラー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒズボラ」の意味・わかりやすい解説

ヒズボラ
Hizbollah

レバノンのシーア派イスラム原理主義政党。「神の党」の意味。法学者フセイン・ファドラッラー師が精神的指導者といわれる。 1982年のイスラエルによるレバノン侵攻後にイランの援助を得て発足し,シリアからも支援を受けている。 92年の総選挙に政党として初参加。イスラエル軍およびイスラエルが支援する南レバノン軍 (SLA) に対する攻撃を繰返す同名の民兵組織をもち,パレスチナ解放機構 PLOの進める中東和平にも反対の立場をとっている。 96年4月にはイスラエル北部へのロケット弾攻撃を激化させ,これに対しイスラエルも反撃を強め,国連レバノン暫定軍 (UNISFIL) 本部を砲撃しレバノン人避難民約 100人を死亡させるにいたった。これを機に,アメリカのクリストファー国務長官が調停に乗出し,4月末,両者の間で停戦合意が成立した。

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知恵蔵 「ヒズボラ」の解説

ヒズボラ

アラビア語で「神の党」を意味する言葉で、中東各地のイスラム急進派がこの名を冠した組織を設立している。比較的よく知られているものにレバノンのヒズボラがある。多宗派国家レバノンの最大宗派であるシーア派はレバノン南部をその居住地としているが、政治的にも経済的にも下層のこの派は、1970年代から組織化、政治化、急進化傾向を強め、82年にイランの後ろ盾を得てヒズボラが誕生した。決死ゲリラ攻撃で知られる軍事部門は、イスラエルが傀儡(かいらい)軍を使って支配し、「安全保障地帯」と呼んだレバノン南部の国境地帯への攻撃で大きな戦果をあげ、2000年5月末、イスラエル軍は「安全保障地帯」から撤退した。ヒズボラの力の源泉は、軍事力ばかりではなく貧しいシーア派大衆の間で社会福祉事業を通じて獲得した強い支持である。06年7月、ヒズボラのゲリラがイスラエル兵2人を人質にしたことをきっかけにイスラエルがレバノンを攻撃、ヒズボラも反撃し、両者の間で8月まで戦争が続いた(レバノン情勢)。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

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デジタル大辞泉プラス 「ヒズボラ」の解説

ヒズボラ

《Hizballah》レバノンのシーア派系イスラム原理主義組織。レバノン戦争に伴い「アマル運動」から分派した「イスラミック・アマル運動」と、シーア派政治組織「ダアワ党」レバノン支部との合併により、1982年に成立。組織名はアラビア語で「神の党」を意味する。イスラエルに対する武力攻撃を行なう一方、1992年以降はレバノン国内で合法的政治活動も展開。閣僚も輩出している。活動資金は世界的ネットワークにより支えられており、イラン、西アフリカ諸国からの援助も受けている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒズボラ」の意味・わかりやすい解説

ヒズボラ
ひずぼら

ヒズボッラー

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