日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒズボッラー」の意味・わかりやすい解説
ヒズボッラー
ひずぼっらー
Hizbullah
アラビア語で「神の党」の意。ヒズブッラーまたはヒズボラとも表記される。コーランの第5章および58章に使われていることばで、とくにイスラム教シーア派の政治組織や民兵組織が組織名として冠している。
1979年のイラン革命当初、ホメイニ師直系のイランのイスラム政治勢力が名のっていた名称で、レバノンのシーア派民兵組織アマルから分離した親イラン派に引き継がれた。このレバノンのヒズボッラーがよく知られているほか、エジプトやトルコ、イラクなど中東各地に存在するが組織的に統一されているわけではない。
レバノンのヒズボッラーは、1982年に設立された。イスラム国家樹立を主張していたタカ派のソブヒ・トファイリSobhi Tufaili(1948― )初代書記長が1998年に除名され、レバノン国内でのシーア派の地位向上を目ざす現実派といわれるハッサン・ナスラッラーHassan Nasrallah(1960―2024)書記長が主導権を固めた。
ヒズボッラーは、「安全保障地帯」として南レバノンを22年間にわたって事実上占領していたイスラエルに対して激しい解放闘争を展開し、2000年5月にイスラエル軍を撤退に追い込んだ。この南レバノン解放闘争には、キリスト教徒などイスラム教シーア派以外の多くの若者もナスラッラー書記長に共鳴して戦闘に参加した。
イスラエル軍の撤退後も、イスラエルが支配する係争地シェバア農場からの軍撤退を求めるヒズボッラーの闘争は続き、2006年7月、レバノンとイスラエルの国境地帯で、ヒズボッラーがイスラエル兵2名を拉致(らち)したことに対しイスラエル軍がレバノン南部に侵攻を開始。イスラエル軍の空爆により民間人の死傷者が多数出るなどし、同軍は国際社会の非難を浴びた。その後、国連安保理決議1701を受け、同年8月14日に停戦が発効、10月1日には侵攻していたイスラエル軍が撤退して国連レバノン暫定軍(UNIFIL:United Nations Interim Force in Lebanon)に支配地域を引き渡した。しかし、ヒズボッラーは武装解除には応じず、アメリカはヒズボッラーを「国際的テロ組織」のリストに加え、これを支援しているイランやシリアを「テロ支援国家」と決めつける主要な根拠としている。
イランは、イスラエルとの対決を支援することでイスラム圏での影響力を高めようとし、シリアは、ゴラン高原の返還についてイスラエルに圧力をかける材料としてヒズボッラーを支援してきた。支援組織や人脈は多岐に渡るが、1990年代前半にはイランの経済状況の悪化によって、資金援助が滞ったと指摘された。一方、ヒズボッラーは、2011年から続くシリアの内戦でアサド政権への支持を表明しており、アサド政権が崩壊すれば大きな打撃になるとみられる。
一般には武力闘争やテロが注目されることが多いが、ヒズボッラーはシーア派地域での学校や病院の建設など地域に密着した政治活動も行ってきた。2009年6月に行われた総選挙で128議席中、13議席を得た。同選挙で発足したサード・ハリーリSaad Hariri(1970― )内閣にかわって2011年6月に発足したナジーブ・ミカーティーNajib Mikati(1955― )内閣ではヒズボッラーとその連合諸勢力が閣僚の大半を占めている。
[勝又郁子]