アメリカの実業家、ホテル王。ニュー・メキシコ州でノルウェー移民の子に生まれる。第一次世界大戦に従軍ののち、テキサス州でホテル業を始め、1920年代の好況期に事業を拡大し発展の基礎を築いた。30年代の不況期にも積極的な経営に徹し、40年代には著名ホテルを次々と買収、46年これを統合しヒルトン・ホテル・コーポレーションを創設した。第二次大戦後は海外ツアーの波にのって世界各地にホテル網を広げ、航空会社とタイアップした旅客誘致策をとるとともに、施設その他は現地側が出資、ヒルトン側はマネジメントを提供するという、いわゆる「ヒルトン方式」で成功を収めた。
[小林袈裟治]
『C・N・ヒルトン著、広瀬英彦訳『ヒルトン自伝――ホテル王の告白』(『世界の企業家6』所収・1969・河出書房新社)』▽『鳥羽欽一郎著『ヒルトン・ホテル』(『世界企業6』所収・1971・東洋経済新報社)』
イギリスの小説家。ランカシャー県に生まれ、ケンブリッジ大学を卒業。在学中から小説を書いたが、「シャングリラ」という理想郷の物語『失われた地平線』(1933)で認められてホーソーンデン賞を受け、さらに『チップス先生さようなら』(1934)がベストセラーになる。ほかに『鎧(よろい)なき騎士』(1933)、『心の旅路』(1941)、『朝の旅路』(1951)、『めぐり来る時は再び』(1953)などがある。彼の小説は筋の変化に富み、語り口も軟らかで品のよいユーモアとペーソスが大衆に受け、映画化された作品も多い。1937年以降アメリカに定住、のち帰化。
[小松原茂雄]
イギリスの小説家。ケンブリッジ大学在学中から文筆に従事。不老不死の秘境〈シャングリラ〉を舞台にした《失われた地平線》(1933)でホーソーンデン賞受賞。イギリスの老校長が波乱の多かった生涯を回想する《チップス先生,さようなら》(1934)をアメリカで出版,流行作家となる。《鎧なき騎士》(1933),《ひとりではない》(1934),《世にもふしぎな》(1947),《朝の旅》(1951)などの作品は,冒険と感傷的ヒューマニズムに富んでおり,その多くが映画化されている。1935年アメリカに移住し,カリフォルニアで死去した。
執筆者:鈴木 建三
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…それは人知れぬ渓流をさかのぼったところに隠された常春の秘境である。またより近くはJ.ヒルトン作《失われた地平線》(1933)の舞台とされたシャングリラShangri‐Laがある(シャンバラ伝説)。チベット語で〈肉切包丁の峠道〉を意味するというが,ここは険阻な細い峠道をたどってようやく到達できる秘境であった。…
※「ヒルトン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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