ビットリオ・エマヌエレ(読み)ビットリオエマヌエレ

百科事典マイペディア 「ビットリオ・エマヌエレ」の意味・わかりやすい解説

ビットリオ・エマヌエレ[2世]【ビットリオエマヌエレ】

イタリア国王(在位1861年―1878年)。サボイア家の出身カルロ・アルベルトの子。1849年サルデーニャ国王に即位父王の導入した立憲君主制を維持して,サルデーニャ王国をイタリア統一運動(リソルジメント)の中心とした。1861年イタリア王国の成立と同時に国王。
→関連項目ガリバルディ

ビットリオ・エマヌエレ[3世]【ビットリオエマヌエレ】

イタリア国王(在位1900年―1946年)。ウンベルト1世の子。第1次大戦後の社会危機の中でムッソリーニ政権の出現を許し,実権を失った。第2次大戦後国民の批判を受けて退位サボイア家のイタリア支配は終わった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のビットリオ・エマヌエレの言及

【サボイア家】より

… 1796年から1814年までのフランスによるピエモンテ支配は,封建的遺制のほぼ完全な廃止など,社会的・経済的発展の基礎をつくった。国王ビットリオ・エマヌエレ1世(在位1802‐21)とその後のカルロ・フェリーチェ(在位1821‐31)は復古体制下で猛烈な反動政策をとるが,ピエモンテの近代化は徐々に進む。その後を襲ったカルロ・アルベルト(在位1831‐49)は経済的自由化を推進し,彼の下でサルデーニャ王国は1848‐49年のオーストリアとのイタリア解放戦争を戦い,敗北する。…

【サボイア家】より

… 1796年から1814年までのフランスによるピエモンテ支配は,封建的遺制のほぼ完全な廃止など,社会的・経済的発展の基礎をつくった。国王ビットリオ・エマヌエレ1世(在位1802‐21)とその後のカルロ・フェリーチェ(在位1821‐31)は復古体制下で猛烈な反動政策をとるが,ピエモンテの近代化は徐々に進む。その後を襲ったカルロ・アルベルト(在位1831‐49)は経済的自由化を推進し,彼の下でサルデーニャ王国は1848‐49年のオーストリアとのイタリア解放戦争を戦い,敗北する。…

※「ビットリオ・エマヌエレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

放射冷却

地表面や大気層が熱を放射して冷却する現象。赤外放射による冷却。大気や地球の絶対温度は約 200~300Kの範囲内にあり,波長 3~100μm,最大強度の波長 10μmの放射線を出して冷却する。赤外放射...

放射冷却の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android