改訂新版 世界大百科事典 「ファイヤアーベント」の意味・わかりやすい解説
ファイヤアーベント
Paul Karl Feyerabend
生没年:1924-94
ウィーン生れ,アメリカの哲学者。ウィーン音楽大学,ウィーン大学,ワイマール演劇研究所などで,音楽,演劇,物理学,天文学,数学を学び,ブレヒトに傾倒して演劇を志したが,やがて哲学に転向。ウィーン大学で学位を取得,さらにロンドン大学にも学んだあと,ブリストル大学で教鞭をとり,1958年アメリカに渡って,カリフォルニア大学バークリー校哲学教授となる。チューリヒ工科大学教授を兼任。60年代前半,T.S.クーンらの科学論に近いところで哲学界に登場,クーンの〈共約不可能性〉の議論と同値の論考(《説明,還元,経験主義》1962)を発表したりした。やがてK.R.ポッパーの反証主義への批判を通じて,しだいに相対主義の徹底化に進み,《方法への挑戦》(1975),《自由人のための知》(ドイツ語版1979)などを相次いで発表,文化的相対主義を西欧近代科学にも適用して,今日の科学絶対主義への最も戦闘的な批判を行った。ユニークな《自伝》(1995)がある。
執筆者:村上 陽一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報