クーン(読み)くーん(英語表記)Jan Pieterszoon Coen

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クーン」の意味・わかりやすい解説

クーン(Richard Kuhn)
くーん
Richard Kuhn
(1900―1967)

ドイツの化学者。12月3日オーストリアのウィーンに生まれる。ミュンヘン大学で学位を得た。チューリヒ工業大学教授を経て、1929年以後はハイデルベルクのカイザー・ウィルヘルム医学研究所(現、マックス・プランク研究所)の所長となった。ウィルシュテッターの門下で、この時代のドイツの代表的な有機化学者の一人である。カロチノイドやビタミンの研究が有名であるが、その他の研究も多い。初期には糖の代謝や、それに関与する酵素の反応などを取り扱ったが、1920年代後期から1930年代にかけて、いろいろな有機化合物の構造、合成、立体化学、光化学、反応論などに関する広範な研究業績を残した。また脂肪酸の自動酸化におけるヘミン触媒作用の研究から、有機物の酸化における鉄や銅などの微量重金属の重要性に着目し、1931年に酸化酵素の一つであるペロキシダーゼの活性基がポルフィリン鉄であることを明らかにした。当時は生体酸化の機構と働きに関する研究が生化学上の重要な課題になっていたが、彼の研究はワールブルクの酸素活性化説における微量重金属触媒の主張を強力に支持することになり、ワールブルクの呼吸酵素、ペロキシダーゼ、カタラーゼなどに含まれている鉄の量と、それぞれの酵素活性との間に量的な平衡関係があることをみいだした。

 その後フラビンの研究に入り、牛乳に含まれている黄色色素ラクトフラビン、卵白のオボフラビンなどを単離、結晶化し、分子式を決定した。フラビンはワールブルクの黄色酵素の活性基であり、ビタミンB2作用をもつ。1937年には、以前から行っていたカロチノイドの研究の一環としてビタミンAの合成に成功している。1938年には、カロチノイド類およびビタミン類についての研究業績に対してノーベル化学賞の受賞者として指名されたが、ナチスの圧迫によって受賞できなかった。

[宇佐美正一郎]


クーン(Thomas Samuel Kuhn)
くーん
Thomas Samuel Kuhn
(1922―1996)

アメリカの科学史家。ハーバード大学で物理学を専攻、1949年博士号を受けてのち、科学史に転じた。母校、カリフォルニア大学プリンストン大学マサチューセッツ工科大学の教授を歴任。1962年『科学革命の構造』The Structure of Scientific Revolutionsにおいて、パラダイムと通常科学の概念によって科学革命を説明して有名となった。パラダイム概念は、そのあいまいさ、多義性を批判され、彼自身、1969年には撤回を表明したが、それとは関係なく、社会科学や一般思想界で広く用いられ、学問や社会体制を根本的に問い返し、新しい道をみつけようとするときに援用される。著書に『コペルニクス革命The Copernican Revolution(1957)ほかがある。

[中山 茂]

『中山茂訳『科学革命の構造』(1971・みすず書房)』『常石敬一訳『コペルニクス革命』(1976・紀伊國屋書店/講談社学術文庫)』


クーン(Jan Pieterszoon Coen)
くーん
Jan Pieterszoon Coen
(1586―1629)

オランダ東インド会社の第4代および6代東インド(インドネシア)総督。オランダホールンに生まれる。青年時代ローマのオランダ人商人のもとで働き、1607年初めてインドネシアのバンダ諸島に赴き、1612年ふたたびジャワに赴き、バンタムの商館で勤務した。1618年東インド総督に任命された。彼はインドネシアの各地にオランダ人の植民地をつくることを主張し、1619年にはバタビア(ジャカルタ)を根拠地として建設した。彼はイギリス東インド会社と激しく争い、これが原因となって本社と対立し、1623年には辞職して帰国した。しかし1627年ふたたび総督に任命されてジャワに渡った。1629年バタビアがマタラム王国の包囲を受けた際、防御の指揮をとっていたが、9月20日コレラのために死亡した。

[生田 滋]


クーン(Helmut Kuhn)
くーん
Helmut Kuhn
(1889―1991)

ドイツの哲学者。アメリカのエモリー大学、ドイツのエルランゲン大学の教授を経て、1952年からミュンヘン大学教授。ハイデッガーの影響を強く受け、存在喪失の現代において根源的な存在回復の必要性を説く。歴史主義、実証主義を批判するが、ハイデッガーよりも現実の社会に関心をもち、良心、受苦、決断する人格相互の愛の共同体としての社会のあり方を追求した。美学の領域にも功績が大きい。主著に『芸術の文化的機能』2巻(1931)、『虚無との出会い』(1950)、『存在との出会い』(1954)、『国家』(1967)などがある。

[小池英光 2015年2月17日]

『斎藤博・玉井治訳『存在との出会い』(1973・東海大学出版会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クーン」の意味・わかりやすい解説

クーン
Kuhn, Thomas S.

[生]1922.7.18. オハイオ,シンシナティ
[没]1996.6.17. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカ合衆国の科学史家。フルネーム Thomas Samuel Kuhn。1946年ハーバード大学で物理学の修士号,1949年同大学で科学史の博士号を取得。1951~56年ハーバード大学,1956~64年カリフォルニア大学バークリー校,1964~79年プリンストン大学,1979~91年マサチューセッツ工科大学 MITで科学史と科学哲学を講じた。『科学革命の構造』The Structure of Scientific Revolutions(1962)で科学の進歩を連続的ととらえる従来の科学史観に疑義を呈し,科学は科学革命(パラダイムの転換)と,パラダイムを規範として進歩する通常科学を繰り返しながら進歩すると提唱。同書は科学史の解釈や科学方法論に変革をもたらす一方で学界に波紋を広げ,歴史・哲学分野で 20世紀に最も影響力をもった業績の一つにあげられる。クーンのパラダイム論は学問の認識の枠組みを対象にするものとして,政治学,経済学,社会学,経営学など,さまざまな分野に影響を与えた。ほかの著作に『コペルニクス革命――科学思想史序説』The Copernican Revolution(1957),『本質的緊張――科学における伝統と革新』The Essential Tension(1977), "Black-Body Theory and the Quantum Discontinuity"(1978)などがある。

クーン
Kuhn, Helmut

[生]1899.3.22. リュベン
[没]1991.10.2.
ドイツの哲学者,美学者。 1947年アメリカのエモリィ,49年ドイツのエルランゲン,52年ミュンヘン各大学教授。 57~62年ドイツ哲学会長。哲学的には生の哲学から出発し,実存哲学の立場に立つ。美学的には「芸術作品の祭礼性」 Die Festlichkeit des Kunstwerksの概念を提唱している。主著"Die Kulturfunktion der Kunst" (2巻,1931) ,"Sokrates-Versuch über den Ursprung der Metaphysik" (34) ,"Begegnung mit dem Nichts-ein Versuch über Existenzphilosophie" (50) ,"Begegnung mit dem Sein" (54) ,"Wesen und Wirken des Kunstwerkes" (60) ,"Traktat über die Methode der Philosophie" (66) 。

クーン
Kuhn, Richard Johann

[生]1900.12.3. ウィーン
[没]1967.8.1. ハイデルベルク
ドイツの有機化学者。ウィーン大学卒業。ミュンヘン大学で R.ウィルシュテッターについて学び (1919~22) ,ポルフィリン系酵素の研究で学位を取る。ミュンヘン大学 (25) ,チューリヒのスイス連邦工科大学 (26) に勤務したのち,ハイデルベルク大学教授およびカイザー・ウィルヘルム医薬研究所化学部長 (29) ,同所長 (37) 。第2次世界大戦後マックス・プランク医薬研究所と改称されたのちも,そのまま所長として活躍した。カロテノイドと酵素の研究,ビタミン B2 の結晶単離と合成,ビタミンAの合成,下等藻類の性決定物質,サルファ剤の機序,人乳中の多糖類など天然物の構造決定など,独創的な業績をあげた。 1938年ノーベル化学賞受賞が決ったが,ナチス政権の妨害で辞退し,第2次世界大戦後に賞状とメダルを受取った。

クーン
Kuhn, (Franz Felix) Adalbert

[生]1812.11.19. ケーニヒスベルク
[没]1881.5.5. ベルリン
ドイツの言語学者,神話学者。インド=ヨーロッパ語族の比較研究を基礎とする先史研究,比較神話学の研究に貢献した。『印欧諸民族の最古の歴史』 Zur ältesten Geschichte der indogermanischen Völker (1845) などの著書がある。また,1852年『印欧語比較研究誌』 Zeitschrift für vergleichende Sprachforschung auf dem Gebiete der indogermanischen Sprachen (略称 KZ,第 101巻〈1988〉から Historische Sprachforschungと改称) を創刊した。

クーン
Coon, Carleton Stevens

[生]1904.6.23. マサチューセッツ,ウェイクフィールド
[没]1981.6.3. マサチューセッツ,グロスター
アメリカの人類学者。 1928年にハーバード大学で学位を取得し,同大学で人類学を講じたあと,48年にペンシルバニア大学教授となり,63年に引退するまで同大学付属博物館の館長をつとめた。この間に北アフリカ,西アジア,南アメリカでフィールドワークを行い,マスメディアを通じての人類学の普及にも努力した。主著に『人種』 Race (1950) ,『人種の起源』 The Origin of Races (62) などがある。

クーン
Coen, Jan Pieterszoon

[生]1587.1.8. ホールン
[没]1629.9.21. ジャカルタ
オランダ領東インド建設初期の主要人物。オランダ東インド会社の第4代および第6代総督。植民の根拠地ジャカルタを獲得してオランダ植民地経営の基礎を築いた。マタラム王国に攻撃され,防戦中病死。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報