日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィーン学団」の意味・わかりやすい解説
ウィーン学団
うぃーんがくだん
Wiener Kreis ドイツ語
Vienna Circle 英語
1924年ごろから、物理学の出身でウィーン大学で哲学を講じていたモリツ・シュリックを中心として一群の自然科学者、数学者などが集まり、哲学的な議論を戦わせていた。そして、1920年代の末、当時ベルリンにいた哲学者ライヘンバハなどと呼応して意識的に一つの哲学上のグループを形成し、出版、国際会議開催などの活動を始めたが「学派」Schuleの名を嫌い、Wiener Kreisと名のったので、普通この「ウィーン学団」の訳名でよばれる。メンバーのなかでも有名なのは、シュリックのほか、哲学者カルナップ、同ファイグル、社会学者ノイラート、数学者ゲーデルなどであるが、若いころのイギリスの哲学者エイヤーやアメリカの論理学者クワインなども、ウィーンに行ってこの学団の活動に触れた。また前記のライヘンバハをはじめ、似たような立場の哲学者と連絡をとっていたので、広義にはこの人たちも含めた広い範囲の学者をさすことがある。
学団は、哲学の専門家がほとんどいず、物理学、数学、経済学などの個別科学の専門家によりなる各メンバーが自由にその意見を表明して、活発な討論を行うことを目ざしたグループで、かならずしも一つの体系を共有するものではなかったが、だいたいの傾向として次のようなことがあげられる。当時の現代論理学の成果に示唆を得、科学上の成果をすべて論理記号で書き表されるものと想定したこと。この想定のうえで、論理的な正否が決定できる命題、および科学の認める経験によって正否が決定できる命題は、すべて論理記号によって有意味な命題として表現できるとしたこと。この2種の命題に書き直せないものはすべて無意味な命題であるとし、とくに、伝統的な哲学の命題の大部分はこれに属するとしたこと。このような無意味な命題を、学団のメンバーは「形而上(けいじじょう)学的なもの」とよんだ。
以上のことからわかるように、この学団は経験主義ないし実証主義の系譜にたつものであるが、同時に、ラッセルやウィットゲンシュタインによる論理学の哲学への応用に影響され、論理主義的な立場から論理学と一体となった数学を重視していた。そこでこの学団の哲学には「論理実証主義」のレッテルがはられ、やがてメンバー自身もこのレッテルを受け入れるようになった。
論理記号による表現に即して有意味な命題と無意味な命題とを選別するというプログラムを実行することは意外に困難なことがしだいにわかってくるうちに、1938年オーストリアを合併したナチス・ドイツの手によりこの学団は解散させられた。だが、メンバーの多くは、アングロ・サクソン圏に亡命し、今日の分析哲学が生ずるきっかけをつくった。
[吉田夏彦]