パリ南東約65kmのところにあるフランス王室ゆかりの宮殿。11世紀以来この地に,王家の狩りの館が建てられていたが,1528年以降フランソア1世の下で大規模な建替えが行われ,建築家ル・ブルトンGilles Le Breton(1500ころ-53)によって新しい離宮が造営された。室内装飾はイタリアから招かれた芸術家たちが手がけた(フォンテンブロー派)。その後,ルーブル宮殿やコンピエーニュ宮殿と同じく,フランス王室が長い時間をかけて増築を繰り返す。工事にはアンリ4世時代のドロルムからルイ15世時代のガブリエルに至る,歴代の王室建築家がかかわった。そのため建物の配置は不整形で,西側の最も古い部分(〈ユリシーズの間〉など謁見,宴会などのための公的な部屋を配置),中央の馬蹄形の一画(国王や王妃のための私室群),東側のコの字形の一画(兵士の区画)に,大きく分けられる。この宮殿はナポレオンが好んで用いたことでも知られる。
執筆者:三宅 理一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…ローマ在住中,彼はライバルの金工師との決闘や公金横領の罪で投獄された。しかし,フランソア1世に救われ,王に招かれて40年フランスに渡り,43‐44年にフォンテンブロー宮殿の内部装飾のため,《ニンフ像》,神話をモティーフにした〈銀製燭台〉,フランソア1世のための黄金の〈塩壺〉(ウィーン美術史美術館蔵)などを制作した。この〈塩壺〉は金工家としてのチェリーニの代表作の一つである。…
…地名は〈美しい泉〉の意。フォンテンブロー宮殿はフィリップ・オーギュストと聖王ルイが営んだ館をフランソア1世が改築し完成させたルネサンス様式の名城館で,その後アンリ2世,4世,ルイ13世,14世,15世,ナポレオン1世,ルイ・フィリップ王,ナポレオン3世らが拡大・改修工事を行った。正面中央の馬蹄形の階段は,1814年4月20日の皇帝ナポレオン1世の決別の舞台として名高い。…
…16世紀フランスで,フォンテンブロー宮殿を中心に活動した美術家たちとその芸術を指す。2期に分けられ,第1期はフランソア1世が宮殿の大改築を意図して,イタリアから1530年,ロッソ・フィオレンティーノ,32年プリマティッチョを招き,彼らはチェリーニをはじめ多くのイタリア人美術家を率いて制作した。…
…ジュリオ・ロマーノに師事し,マントバのパラッツォ・デル・テなどの装飾に従事。フォンテンブロー宮殿造営のためフランソア1世がロマーノを招請した際,師に代わってフランスに赴く。同じくイタリアから招かれたロッソ・フィオレンティーノの没後は,宮殿建築監督の地位を占め,フランソア1世,アンリ4世,シャルル9世に仕え,宮殿の装飾を行う。…
※「フォンテンブロー宮殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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