イタリアの彫刻家。トリノに生まれ,ミラノのブレラ美術学校に学ぶが伝統的な教育法にあきたらず,中退してパリに出る。1889年のパリ万国博覧会への出品で当時の前衛芸術家の賞賛を受け,ロダンと知り合う。やがて2人は不和となるが,その原因は印象主義を彫刻にもちこんだのはどちらが先かということであり,またロダンの《バルザック》を自分のアイデアを盗んだとロッソが怒ったためである。外的現実の流動性を彫刻の肌の表現にもちこんだという点で確かにロッソはロダン以上に〈印象主義的〉であり,それは《ベールをかぶった少女》(1893)などにうかがえる。また,光と影の効果を強調するため,のちにロッソはワックスをしばしば素材とする。晩年はミラノで制作し名声を博したが,国際的には一時期忘れられていた。ボッチョーニは〈未来派宣言〉で,彫刻を大気のなかに解放した先駆的彫刻家とたたえている。
執筆者:中山 公男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イタリアの彫刻家。トリノに生まれたがまもなくミラノに移住し、ブレラ美術学校に学ぶ。アカデミックな美術に反発し、スカピリアトゥーラ(世紀末のイタリアの文学運動)のロマン主義に強い影響を受け、石膏(せっこう)、蝋型(ろうがた)、テラコッタなどを用いて絵画的なイメージを三次元に移植しようと試みた。そこでは彫刻は量体として存在を顕示するのではなく、光のなかで対象が雰囲気に浸透するのである。1889年以来パリに滞在し、ロダンや印象主義の風潮のなかで評価された。晩年はミラノで過ごし、同地に没した。
[小川 煕]
…また地動説はスコラ哲学の基礎であったアリストテレス以来の人文主義的世界観を動揺させ,ルネサンスの基盤は失われる。この危機を代表するものがミケランジェロ,ポントルモ,ロッソ,パルミジャニーノ,ティントレットなど,マニエリスムの芸術である。彫刻ではジャンボローニャGiambologna(1524‐1608)が代表する。…
※「ロッソ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新