ドロルム(英語表記)Philibert Delorme

改訂新版 世界大百科事典 「ドロルム」の意味・わかりやすい解説

ドロルム
Philibert Delorme
生没年:1510ころ-70

フランス・ルネサンスの建築家。De l'Ormeとも書く。リヨンの石工の家系に生まれ,父の現場で中世以来の建築技術を会得したのち1533年ローマに留学し,遺跡発掘と記念建造物の実測を通して古代およびルネサンスの建築を研究。帰郷後まもなくビュリウー邸(1539)を手がけ,パリに呼ばれてベレー枢機卿のためにサン・モール城(1563)を設計した。アンリ2世即位後,王室建築総監としてディアーヌ・ド・ポアティエのためのアネ城(1552)やフォンテンブロー城舞踏の間〉(1550)などを指揮。イタリアで取得した古代建築に関する知識と中世フランスの技術をうまく融合させた古典様式を創始した。アンリ2世の死により宮廷から追放され,引退の間《建築術》第1巻(1567)などを著し,後のフランス古典主義建築家に多大の影響を及ぼした。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドロルム」の意味・わかりやすい解説

ド・ロルム
De l'Orme(Delorme), Philibert

[生]1510頃.リヨン
[没]1570.1.8. パリ
フランス・ルネサンスの代表的建築家,建築理論家。 1533~40年代ローマに留学したのちパリに定住。枢機卿 J.ベレの保護を受け,パリ郊外にサン・モールの城館 (1541頃~63) を建設。国王アンリ2世の建築家としてサン・ドニ修道院フランソア1世墓廟を設計 (47) ,アネの城館 (47起工) や,フォンテンブロー宮増築 (48~59) ,王の死後,カトリーヌ・ド・メディシスの命を受けて,チュイルリー宮殿造営 (64) 。古典主義建築の確立に寄与した。著書に『よい建物を少額で建てるための新工夫』 Nouvelles Inventions pour bien bastir et à petits fraiz(61),『建築の最良の書』 Le Primier Tome de l'architecture de Philibert de L'Orme(68)がある。

ドロルム
Delolme, Jean Louis

[生]1740. ジュネーブ
[没]1806.7.16. セーウェン
スイスの憲法学者。イギリスに亡命中,『イギリス憲法論』 Constitution de Angliterre (1771) を著わし,イギリス憲法の特徴を初めて体系的に解明したことで知られる。イギリスの憲法と政治機構は抽象的理性の産物ではなく経験の結果得られた教訓に基づくものであり,人間の権力欲を抑制均衡のシステムを通じて緩和することによって運用されていると論じた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドロルム」の意味・わかりやすい解説

ドロルム
どろるむ
Philibert Delorme (de l'Orme)
(1515ころ―1570)

フランス・ルネサンスの建築家。リヨンの建築職人の家に生まれる。1533~36年にローマに滞在して古代建築やイタリア・ルネサンスの建築を学ぶ。帰国後はアンリ2世に認められ王室建築総監となり、サン・ドニ聖堂のフランソア1世廟(びょう)(1547)、アネの城館(1552~59)などを設計。王の死後一時失脚した時期に、『実用新住宅建築構造』(1561)、『建築概論』(1567、第一巻のみ)の二著を執筆したが、これらはフランスにおける最初の建築理論書として同時代および後世のフランス建築界に多大の影響を与えた。晩年にはカトリーヌ・ド・メディシスのためにチュイルリー宮の設計を行った(死後完成したが現在は破壊)。パリで没。

[篠塚二三男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のドロルムの言及

【フォンテンブロー宮殿】より

…その後,ルーブル宮殿やコンピエーニュ宮殿と同じく,フランス王室が長い時間をかけて増築を繰り返す。工事にはアンリ4世時代のドロルムからルイ15世時代のガブリエルに至る,歴代の王室建築家がかかわった。そのため建物の配置は不整形で,西側の最も古い部分(〈ユリシーズの間〉など謁見,宴会などのための公的な部屋を配置),中央の馬蹄形の一画(国王や王妃のための私室群),東側のコの字形の一画(兵士の区画)に,大きく分けられる。…

※「ドロルム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android